【川崎19人殺傷事件】「1人で勝手に死ねばよい」という正論が通り魔型道連れ自殺を引き起こす、について【無敵の人】
さあ、今日も戯れ言《
この記事は2019年5月30日が初アップだ
川崎で起こった19名への無差別殺傷事件
神奈川県川崎市の登戸にて起こった悲劇――19名への無差別殺傷事件、うち2名が死亡。
犠牲となったのは、小学6年生の女子児童と39歳男性だった。
そして犯人の岩崎隆一容疑者(51)は犯行後に自らの命を絶っている。
いわば「道連れ自殺」だ。
道連れは勘弁して欲しい
そりゃ、本音をいえば誰だってこう思うだろう。
自殺(自死)するのならば、1人で誰にも迷惑かけずに死んでくれ、と。
似た様な構図としては電車への飛び込み自殺がある。
通勤時間、電車に飛び込んでダイヤを止める自殺者にも、多くの人が同じ思いを抱く筈だ。
でも、そういった残酷な正論は「言わぬが花」ではなかろうか。
事件に対しての報道は必要だ。
だが「引きこもりだった犯人は1人で死ぬべき」的な非難や主張は、百害あって一利もないだろう。何故ならば、それは単なる義憤からくる感情をぶつけている、あるいは不安を紛らわせる為の攻撃に過ぎず、論理的な解決方法から遠ざかるのみなので。
電車への飛び込み自殺
この状態に陥ってしまった人は、視野が狭くなり、思考能力が衰え、ほぼ自覚なしで「楽になれる」と、線路に飛び込む。要は、まともな精神状態とはいえない。
ダイヤが止められると非常に迷惑なので、他の方法を採って欲しい――当の自殺者も精神的に健康だった頃は「迷惑だから死ぬにしても、電車を止めない方法で死んでくれないかな」と思っていただろう。どうせ死ぬのならば、通勤電車を止めてサラリーマン達を遅刻させてやる、と故意に迷惑をかける自殺者は超レアだと思う。
僕も普段から「自殺するなら電車を止めずに1人で勝手に死んでくれ」と思っているが、自殺する精神状態になってしまえば、それを忘れて電車に飛び込むかもしれない。
それは、この記事を読んでいる貴方も、だ。
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考えて対策を講じるべき事
①今回の事件に限定せず、犯人はどういった経緯で引きこもりになり、社会復帰できず、他人との接点を絶ち、そして凶行に至る心理状態になってしまったのか。
②また、こういったケースを想定した防犯体制の構築と、それに対する費用対効果の検討および、自衛手段を考える。
必要なのは以上の2点だ。
再三、例に挙げるが「電車への飛び込み自殺」にしても、自殺者の精神(および生活環境)を救済して自殺を思い留まらせるのと、線路沿いにゲートを設置したり、巡回要員を増やして防止の為に目を光らせる、という別ルートでの解決方法があるのだ。繰り返すが「通勤時間にダイヤが乱されるのは迷惑だから、1人で勝手に死んでくれ」と非難したところで、やっぱり自殺者は減らないし、電車も止まってしまう。
安楽死はどうだろうか?
仮定ではあるが、安楽死が国家制度として実現できれば、電車飛び込みや道連れを伴った、周囲に迷惑を掛ける自殺は激減するかもしれない。
今の日本社会だと、結構な人数が「誰にも迷惑をかけずに、1人で勝手に」安楽死を選んでくれそうだ。今回の犯人もその可能性が高いと思う。世界有数の自殺大国、日本が世界で最先端の安楽死国家になるに違いない。美しい国、ニッポン(棒読み
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人間という存在は強くない
ほとんどの人間の本性は醜く、弱い。
そんでもって、人生と社会は不平等で理不尽だ。
大多数の者が幸福になる社会があったと仮定しても、その陰には必ず少数の不幸な者が存在してしまう。喩えを挙げるならば、個人としては、今回の犯人が陰(不幸)の側であり、マクロとしての一般人では、不運にも命を落とした被害者が陰(不幸)の側だ。逆に幸福な側なのは、個人としては、今回の犯人みたいな境遇にならなかった者であり、マクロとしての一般人では、幸運にも犯人の刃が向かなかった者となる。
道を歩けば、たばこの吸い殻が落ちている。
ポイ捨てする人がいるからだ。
朝の街並みや公園には、飲み食いした後のゴミがある。
回収せずに放置していく人がいるからだ。
ぶっちゃけ、迷惑だから止めてくれないかな?
川崎市の往来で刃物を無差別に振り回されるよりも、僕が歩く通路に吸い殻やゴミ捨てられる方が、個人的には迷惑だ。
だけど腹立たしいかな、現実的にはゼロにはできない。分かっている。
今回の事件で「迷惑だから1人で勝手に死んでくれ」と、大層な正義感振りかざしている人の中で、たばこの吸い殻を捨てたり、公園などでゴミを散らかす連中に言うよ。「人の命という重い命題の前に、迷惑だから自分が出したゴミくらいは自分1人で回収しろ」と。できる事から、身近な事から常識的にやってくれ。
電車の飛び込み自殺にしても、たばこの吸い殻を道端に捨てるにしても、ゴミを片付けずにトンズラにしても、人間って本当に弱い生き物だ。
大多数の人間が清廉潔白には生きていないだろうから、今回の事件の犯人と同じ境遇に追い込まれれば、相当数の人間が同じ凶行を起こすと、僕は思っている。
そういう僕も、犯人と同じ境遇に追い込まれていれば、犯人と同じ凶行に走らず、潔く1人で自決できるという自信はない。僕という人間は、そこまで強靱な精神力やモラルを持っていないから。ゴミを道端に不法投棄しない程度の精神力とモラルは持ち合わせているが。
心の中で「死ぬのなら1人で勝手に死んでくれ」と思うのならばともかく、清廉潔白に生きてもいないのに「死ぬのならば1人で勝手に死んでくれ」とSNS等で、特に、匿名で主張する人は、きっと「自分は鬱になって自殺したとしても、電車に飛び込んで周囲に迷惑をかけない」とか、勘違いして自惚れている人なのだろう。
実際、関連ニュースのヤフコメには「自分だったら、同じ境遇でもそんな真似しない」という旨のコメントも散見できた(苦笑
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自己責任論のいきつく先が今回の犯罪
犯人に同情はしないが、哀れみは感じる。
きっと、これが今の社会に蔓延してしまった「自己責任」の最悪な発露の仕方であろう。
社会との接点を拒絶する心の弱さと孤独から狂い、殺人に及んでしまった弱い人間と、降り注いできた刃物から自らの身を護れなかった被害者を襲った理不尽さと。――どっちも、ただただ、やりきれない悲しさに満ちている。
こういった犯罪の根本には、社会的な格差がある。
でも、格差をなくす社会など不可能だ。
前途した安楽死だって、容易には導入(実現)できない。
人が死ぬ――という冷たい現実について、貧困国の見知らぬ幼児が路上で餓死し続けていても、あまりピンとこずに、日本の川崎市で起こった事であるから身近に感じて過剰反応しているという点もあるだろう。
実のところ、日本の凶悪犯罪は減少している。
警視庁が発表している犯罪統計にて明らかになっているし、いくら捏造と隠蔽がお家芸である日本の組織でも、犯罪統計までは捏造しない――よね?
最後にまとめると
ヒステリックにならず落ち着くべきだ。
それでも義憤に思う気持ちを抑え切れないのならば、実際に「こんな悲劇を繰り返さない為」に、社会の格差を少しでも減らそうとか、引きこもりを救おうとか、私財を投入して行動するといい。それが何よりも被害者への供養となる。
ただ不安がって自殺した犯人を責めても、今後もこういった無差別殺人は無くならないし、電車への飛び込み自殺も無くならないし、たばこのポイ捨ても無くならないし、ゴミの不法投棄も無くならないのだから――
論ずるならば、どうすれば今回の様な悲劇が減る社会になるのか、どうすれば自殺するにしても電車への飛び込みを減らせるのか、たばこのポイ捨てやゴミの不法投棄を減らせる社会になるのか、色々と問題は山積である。
世の中(世界)とは、かくも不完全なり。