【宇宙世紀】ガンダムSEEDが成功した理由について【アナザーシリーズ】
さあ、今日も戯れ言《
ガンダムシリーズ中興の祖
なんだかんだで、僕が1番強く記憶に残っているガンダムは『SEEDシリーズ』だったりする。その理由は明確で、放映当時のアニメ感想ブログが、めっちゃSEED関連の記事で盛り上がっていたからだ。
当時、今ほどのインターネット環境でもなければ、大衆と生活にスマホが普及してのモバイル・ファーストでもない。
SEEDシリーズ放映当時のブログは、現在のような機能性もなければ、華やかなデザインでもなかったけれど、とにかくSEEDシリーズに関する考察や感想、そして二次創作が熱かった。それはミクロ的でサブカル的ではあったが、ブームだった。
けれど、流行っていたのはSEEDシリーズのみであり、後続の『BLOOD+』や『ガンダム00』の記事は、SEEDほどは流行らずに、徐々に下火になっていった印象だ。僕もいつの間にか、その手のブログから興味を失い、離れていた。
ぶっちゃけると、SEEDシリーズほど適度にツッコミどころがあり、かつ、それをネタに昇華して面白くブログ記事にできるアニメは、他に存在しなかったのである。
ただし、これは僕にとっての理由であり、まさか万人が「ツッコミどころをネタに昇華したアニメ感想ブログが面白かったから」なんて要因で、SEEDシリーズを好きになり、ヒットしたわけではあるまい。
――という事で、どうしてアナザーガンダムの中において、SEEDシリーズが空前のヒット作品になったのか、その原因を推察したいと思う。
SEEDまでのガンダムシリーズの流れ
ガンダムという作品には2つの大別がある。
本家ともいえる『宇宙世紀』シリーズと、その他だ。
で、その他はまとめて前途した『アナザーガンダム』と通称される。
今回はメッチャ大まかにTVシリーズ「のみ」に焦点を当てよう。
劇場版とかOVAとか派生作品やスピンオフ等を細かく追っていたら論旨がズレかねないので、どうかご承知おきを。では、いこう。
宇宙世紀の時系列
- 機動戦士ガンダム
(通称、ファーストガンダム)1979年放映 - 機動戦士Zガンダム
(通称、ゼータ)1986年放映 - 機動戦士ガンダムZZ
(通称、ダブルゼータ)1987年放映 - 機動戦士Vガンダム
(通称、Vガン)1993年放映 - ∀ガンダム
(通称、ターンエー)1999年放映
※)宇宙世紀の未来――正歴(CC)が舞台 - 機動戦士ガンダムUC RE:0096
(通称、ユニコーン)2016年放映
※)OVA全10巻の再編集版
派生作品はもの凄い数にのぼるが、TVシリーズは実はたったのこんだけ。
ちなみに①~⑥は、宇宙世紀としての時系列順にはなっていない。
個人的な印象としてはZZで1度、ガンダムはTVシリーズとしての幕を下ろし、Vガンで再始動という感じだ。しかしVガンは期待ほどのヒットとはならず、後のターンエーが滑って、ガンダムブランド(宇宙世紀)は沈静化した。
ユニコーンの成功や、ジ・オリジンで息を吹き返すまで相当の時間を要している。
商業的には失敗に終わり、酷評も多いターンエーだが、SFなストーリーとしてみれば抜群に面白かった。けれど、ガンダムとしては明らかに失格な出来でもあった。
視聴者が新たに求めていたガンダムは「コレじゃない」という。
西城秀樹のOPソングに、額にあるVアンテナではなく口髭をたくわえたかの様な、主人公機の悪い意味での斬新なデザイン。普通に格好悪かった。繰り返すが、ストーリーは名作だった。ロボットものとして論外だっただけで。
そしてVガンが終わった1994年。
ガンダムシリーズ初となるアナザーガンダムが誕生する。
これも時系列順に列挙しよう。
アナザーシリーズの放映順
- 機動武闘伝Gガンダム
(通称、Gガン)1994年放映 - 新機動戦記ガンダムW
(通称、ガンダムウイング)1995年放映 - 機動新世紀ガンダムX
(通称、ガンダムエックス)1996年放映
Gガンが視聴者の意表を突き、なかなかの成功を収める。
とにかくガンダムのイメージを覆す意外性だった。
続くガンダムWが大ヒットする。
主題歌を担当したのは高山みなみをヴォーカルにした2人組ユニット、TWO-MIXだ。
宇宙世紀とは異なる新たなガンダム。
そんな構図が出来あがりつつあったが、3作目のガンダムXが、ぶっちゃけ失敗に終わってしまう。諸事情で放映時間帯を移した末の打ち切りだ。
その後のターンエー(の失敗)で、TVシリーズとしてのガンダムブランドは終わってしまったかに思えた。
機動戦士を冠したアナザーシリーズの始まり
それは2002年の事であった。
ターンエーで「一般的に普及していく」ガンダムブランドは終わった、そんな消沈感を拭おうと、サンライズは思い切った決断を下す。
宇宙世紀ではなくアナザーである事の象徴――『機動武闘伝』『新機動戦記』『機動新世紀』といったサブタイトルを変えたのだ。
機動戦士ガンダムSEED
個人的な所感としては、TVシリーズとしての生き残りを賭けたアナザーガンダムだったと思う。以降、アナザーも全て「機動戦士」で統一される。
いや、ビルドシリーズは別枠としてね。
なぜSEEDシリーズは起死回生のヒットになったのか
結果は大成功に終わる。
権利関係で揉めて劇場版はお蔵入りになってしまったが。
ガンダムブランドの中興の祖と形容しても過言ではない莫大なセールスと話題を、SEEDシリーズはサンライズもらたした。
それに従って多大なるアンチも。
アンチの多さは、人気のバロメーターでもある。
では、ヒットした要因を考察しよう。
①現代風に寄せたキャラデザ
平井久司のキャラデザによるガンダムはインパクトが大きかった。
そして未だに色褪せていないといえよう。
次作であるガンダム00において、高河ゆんをキャラクターデザインに起用した点からしても、サンライズによる平井絵への評価は非常に高かったのだろう。
②西川兄貴によるOPソング
T.M.Revolution――西川貴教が担当したOPソングが、映像による演出と噛み合って一見さんへの「掴み」としては抜群の効果を発揮した。
SEEDの1stオープニングとSEED DESTINYの1stオープニング。共に傑作だ。
劇中の挿入歌も含めて、西川兄貴の力は計り知れない貢献度だろう。
そして西川兄貴を起爆剤に、SEED系のOPとEDソングはどれもヒットした。
まあ、森口博子のZとF91の歌には及ばないが。
③3大ヒロインを最初から上手く喧伝した
フレイ・アルスター。
ラクス・クライン。
カガリ・ユラ・アスハ。
OP映像から実に上手くアピールしていた。
なんだかんだで色恋沙汰はストーリーを彩る花である。歴代ガンダム作品は、数多くのヒロインと恋愛ストーリーがあったが、SEEDの3大ヒロインはとりわけ、キャラデザとバックボーンの差別化および主人公、キラ・ヤマトとの関係性が上手く機能した。
続編でもホーク姉妹のキャラが立っていた。
④ザクやグフが登場した
導入部のストーリーラインといい、随所にファーストガンダムのオマージュが見て取れる。
これに拒絶反応を示し、SEEDを嫌いになるガンダムファンもいたが、トータルでは成功した要因といえよう。
⑤福田己津央ならではの外連観の利いた戦闘シーン
スピード感とメリハリがあり、迫力も抜群だった。
今の様なCGではなく手書きであれだけの表現である。素直に凄い。
そりゃユニコーンの戦闘シーンには及ばないが、あれは現在のCG技術の賜物だ。バンク連発との批判もあったが、なんだかんだで福田の演出する戦闘シーンは才能に溢れていた。この点では明らかに富野由悠季よりも上だと僕は思っている。
それからニュータイプよりも「種割れ」の方がシンプルで分かりやすく、また『ドラゴンボール』における超サイヤ人みたいに、演出としても優れていた。
⑥続編では前作で敵だったザフト側が主人公サイドに
SEEDでは地球連合軍、プラント(ザフト軍)、そしてオーブ連合首長国という三大勢力において、敵側として描画されたのは一貫してザフトであった。
『エガオノダイカ』でもそうだが、敵側(『エガオノダイカ』で王国側に対して帝国側)のデザインが秀逸という例も多い。
ザフト側を主役に置き換える事により、ザクが味方機になった。
⑦アニメ映像技術の進歩
流石に3Dグラフィック全盛の今とは比較にならないが、それでもZZの頃からは飛躍的に向上していた。ガンダムだけあり制作費も潤沢だったし。
――以上を踏まえると、次作である00がSEEDシリーズに及ばなかった理由もおぼろげながら垣間見得てくる。
とはいっても、00は00で独自色を打ち出す必要があり、ヒットしたからといって、まんまSEEDっぽくはできないので、00は00で、あれで良かったと思うが。
SEEDシリーズがアンチに批判される点
ここから先はオマケだ。
逆にアンチの的になっている部分を考えていく。
あくまで主観なのであしからず。
理屈ではなく感情的に「嫌い」という層は慮外している。
①あざといお色気シーン
OPのカットや魔乳さんの乳揺れシーンとか。
批判されるのは、制作側も折り込み済みだろうけれど。
②セーフティシャッターとキラワープ
超ご都合主義だ。いくらなんでも、そりゃないだろうと。
もうちょっと何とかならなかったのか。
そもそも、主要キャラは撃墜されても生存し過ぎである。
③オーブ至上みたいな描画
絶対正義すぎて生理的に嫌悪感が。
そういう視聴者も多かった筈。
国の在り方としては割とゲスい方だと思う。
④不殺を信念にするも無差別攻撃なキラさん
やっている事はただのテロである。
しかもオーブという国とクライン派をバックにつけて、やりたい放題。
フリーダムガンダムを手にしてからのキラは、フレイ絡み以外では、あっという間に人間味を失っていく。達観しているというよりも、感情を失った抜け殻みたいに。
たまに感情を発露しても「カガリは泣いているんだ!」だったし。
悟りきった様な顔で「だよね」と追従する様が、嫌に印象に残っている。サイにかました「やめてよね」も大概だったが、あの頃は人間っぽかったなぁ(遠い目
⑤クルーゼに言い負かされて逆ギレするキラさん
フレイは護れなかったし、正直いって主人公としてダメダメだった。
なにが酷いって、ラストバトルでこれだった事だ。
スーパーコーディネイターがスーパーだったのは学力と戦闘力のみという。
クルーゼも正論ではなく極論で「そりゃお前だけの限られた視野での話だろ」という屁理屈だったが、キラは理屈で論破できなかった。まあ、運命(人類の欲)に翻弄されたキラと、世界(人類の悪性)に裏切られ続けけたクルーゼ(核兵器復活の鍵を人類に委ねて、最悪な結果になる)は同じであり正反対の特別な存在で、こんな救いのない世界を最後に滅ぼすと開き直ったクルーゼに対して、言い負かされたが「それでも」世界を守ると、心で否定して忌避している己の力に縋った(力だけではないとフレイだけが見てくれた)キラだから、演出としては間違ってはいないが。
その後、心の大半が壊れた模様で、隠居(ニート)して、ラクスの手駒(恋人)に。
自分はクルーゼだと云ったレイに「君は君だ、彼じゃない」と叫んだキラは格好よかったが、その直後にフルバーストかまして撃墜しているという(苦笑
⑥政治家(為政者)としての覚悟がないカガリ
アスランと別れて、少しはマシになったが。
というか、どうしてアスランと付き合ったのか謎であった。
彼女の成長を描くのもテーマだったのか?
⑦ラクスという不気味な存在
SEEDシリーズのヒロイン――の筈が、気が付けば黒幕(フィクサー)的に。
キラのフリーダム奪取を手引きした後、反逆罪で捕まり、その後は相応の扱いならば良かったのだが。まるでキラにフリーダムをプレゼントしたかの様な演出だったが、あれはプラント民の税金で開発された代物である。ラクスの私物ではない。
クライン派の首領として、最終的には世界を牛耳る事に。
綺麗事で大正義っぽくコーティングされているが、その内実は暗黒に染まっている。というか、色々な意味で真っ黒過ぎて怖い。
ハマーンみたいにパイロットとして前線にも出なかったし。
キラを手駒の様に都合良く操り過ぎていて「本当にキラが好きなのか?」と勘ぐってしまいたくなるが、冷静に考えると、キラにとってのラクスも、フレイ(本命)を失った後のキープ女だったという。割とお互い様なカップルだ。
ふと思うのだが、アスランはこの女との婚約を解消できた事で、人生の運の大半を消費してしまったのかもしれない。
⑧オーブとザフトを行き来するアスラン
軍人とは思えない気軽な転職っぷりだ。節操がないにも程がある。
そして信念はさらに無い。
しかも、どっちの陣営にもシレッと中心メンバーとして居座る。
作劇上の都合かもしれないが、厚顔無恥に過ぎると思う。
これならば、スパイとしてザフトに復帰していた方がマシだった。
2度目のザフト脱走は本当に酷かった。
「議長の言葉は世界を殺す!」と意味不明な供述をしておりまして。
シンでなくとも「何いっているんだ、アンタは!」と叫びたくなる。
ちなみにアスランが去った後のミネルバであるが。
アスランが居てくれれば、なんてシーンは皆無で、ミネルバの戦力的に全く支障がなかったという事実が情けなさに拍車を掛けている。マジでセイバーガンダムをキラのフリーダムに達磨にされただけだった。
オマケ:メイリン・ホークとは何だったのか
割とその場のノリで、アスランと共に国家反逆罪を背負ってしまう。
その時点で、別にアスランとは将来を誓った仲とかではない。
後にアークエンジェルのクルーに転職。加えて、ラクス教に入信する。
最終決戦の時に、姉に無線でこう呼び掛けた。
「どうして戦うの、お姉ちゃん!」と。
脱走かましておいて、なに言ってんだ、コイツ。
いや、だって攻めているのはお前等ラクス陣営で、お姉ちゃん(ルナマリア)の陣営であるザフトは防衛戦を強いられているのだが。
ラクス・クラインが侵略を止めれば、ザフトも普通に停戦するよ。世論へのアピールもあるし、必要以上に戦う理由はない。
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