【二次元の生命体】声優ライブを楽しめないコンプレックスについて【三次元のコスプレ】
さあ、戯れ言《
【引用元――サクラ大戦シリーズ(著作・制作:セガゲームス)より抜粋】
発端は「推し」という概念
推し=とても好きだという対象(オタク用語)
まずはこれ(推し)を大前提にして記事を読んで貰いたい。
この推しとは推薦・推挙(布教)したいの推(本来は推す)と、押しと掛けているのを語原とすると思われる。たぶん、きっと。推測だけど。
話題になったブログ記事
先日、ちょっと話題になったブログ記事に『声優ライブを楽しめないコンプレックス』というものがあった。これは誤解を招く記事タイトルだと思うので補足しよう。
ここで云う声優ライブとは、声優さんが自分の名義で行うライブを指すのではない。
水樹奈々のライブに行ったけど、周りのファンと同じ様に楽しめなかったので、チケット代と時間を損した気分だ――といった話とは違う。水樹奈々はあくまで喩えであり、別に悪意はないので、あしからず。単純に田村ゆかりと並び、声優単体としての全国ライブツアーを成功させていて、かつ知名度抜群だから例に挙げただけだ。
では、件のブログ記事における声優ライブとは?
再び水樹奈々を例にする。分かり易いので。
すなわち『シンフォギアライブ』の事だ。
そのライブで水樹奈々はCVを担当している風鳴翼として振る舞う事(ファンサービス)を、ブログ記事を書いた人は、そんなファンサービスをしても「リアル(三次元)風鳴翼=水樹奈々は成立しない」と、切に訴えているのである。
件のブログから文章を引用しよう。
だって、私の推しと推しの声優は違う生命体じゃないか。
ただ、声を提供されているだけじゃないか。
声の提供か生命体か
生命体って、おいおい(汗
もうちょっと違った表現はできなかったものか。意図は分かるが。
それから『声を提供』は声優さんに対して失礼かな。
声優さんは文字通り『声の俳優・女優』つまりプロの役者であり、キャラクターを演じる事によってそのキャラに命を吹き込む、とても素敵で夢のある職業だ。それだけ厳しい世界でもあるけれど。
シンフォギアライブで「水樹奈々と風鳴翼を同一視できるファン」が羨ましい――と、ブログ記事の人は綴り、いつかは「水樹奈々を介して2Dではないリアル風鳴翼を幻視できる様になりたい(意訳」と締めくくった。
あくまでシンフォギアライブと水樹奈々は喩えだから、それを忘れずに。
アニメイベント(ライブ)で、声優が担当キャラのコスプレをして、担当キャラの声を出し、担当キャラとして振る舞う。
その声優を、来場したファンは「3Dのリアルキャラだ」と認識(あるいはロールプレイ)してライブを楽しむ。
ノリに付いていけない人だって、そりゃいるだろう。
しつこいと読者さんは思うかもしれないが、水樹奈々を三度例に出す。
また水樹奈々かよ! とは思わないで欲しい。
仮に、だ。
『魔法少女リリカルなのは』のライブがあったとして、水樹奈々がフェイトのコスプレをして、フェイトの声音でフェイトとして振る舞う。
大人バージョンならば(ギリギリかもしれないが)ありだろうが、幼女バージョンだと流石に無理があるだろう。
僕は幼女バージョンのフェイトに扮した水樹奈々を見て、目を逸らさずにいられる自信はない、と断言できる。
だが!
選ばれし真のフェイト推しならば、幼女バージョンのコスプレをした水樹奈々を素体として、三次元リアル(幼女)フェイトを幻視できるかもしれない。
要するに人それぞれという事だ。
大枠の趣旨は、水樹奈々の例で理解できると思う。
アイマス、ラブライブ系やバンドリ系の台頭
しかしこの手の事情というか、こういった現象の根は少々深い処にある。
ここ近年では通称『アイマス』――『アイドルマスター』系の作品により、「キャラ=担当声優」を全面に押し出した商法が一般化(ジャンル化)している。それがこういった声優とキャラにおける相関事情を複雑化させているのだ。
その昔、声優さんはキャラのイメージを崩さない為にも、顔出ししないというのが王道であった。まあ、あくまで王道であり絶対にタブーという程ではないが。
その逆パターンは昔からあるにはあった。
いわゆる「声優売り」の元祖的な意味合いで。
旧サクラ大戦の歌謡ショー
読者さんは『サクラ大戦』を覚えているだろうか?
2020年に『新サクラ大戦』としてシリーズ再開するけれど。
◆合わせて読みたい◆
ゲームを原作として、メディアミックスも大成功したシリーズであるが、その『サクラ大戦』の声優さん達によるミュージカル(歌謡ショー)も行われていたのだ。
今でいうのならば、FateやFGOのミュージカルで、アルトリア役を金髪の鬘(カツラ)を被った川澄綾子が担当する様なものである。
元々、声優さんがキャラソンをCD発売する事自体は、昔から存在する商法だ。
そして、いつの頃からかアニメの円盤が売れ始め、それに従い、アニメイベントのチケット抽選券が抱き合わせになった通称『イベチケ』商法が台頭する事となる。どこかのアイドルグループのCDに付属する握手券と似たようなやり方だ。
それが威力抜群であった。
それならば、とキャラソン商法とサクラ大戦ミュージカルを悪魔合体させてみよう、と『アイマス』や『ラブライブ』等のアイドル系作品で、中の人(声優)を売り出す手段として、アニメキャラを活用するという逆転の発想が生まれ、そして、これまた成功する。
声優達にとってもメリットが大きな商法といえよう。
純粋にイベントの仕事が増えるし。
担当キャラの声という枠組みを超えての活動は、イベント仕事のみならず、次の役をゲットするチャンスでもある。
そりゃ、ピンでラジオ番組を持てる声優。
代表作が幾つもある実力派かつ人気声優。
実況中、役名ではなく声優名でキャラが呼ばれる声優。
このクラスになれば「声優=キャラ」商法に頼る必要はないだろうが、逆に云えばこのクラス手前の声優にとっては、とにかく自分を売り込むチャンスが欲しい筈だ。
だから僕は『アイマス』商法、『ラブライブ』商法は決して間違ってはいないと思う。
その声優とアニメとキャラに金を落とすファンがいる限り。
その反面、違和感を覚えるファンも否定はしない。
否、できないというべきか。
冷静に考えるまでもなく、二十歳すぎた大人の女性が少女の声を演じて、更には二次元と三次元の垣根を超えて、大人の女性が少女のコスプレをして、アニメ声を出すのだから、根本からして不自然であるし、無理があるのは厳然たる事実だ。
しかもアニメのキャラは歳を取らないのである。
作品の時系列に沿って加齢する事はあっても、若い頃のキャラは若い頃として不老だ。
ジョジョの承太郎やジョセフが好例だろう。3部承太郎、6部承太郎といった具合で、シリーズが進み承太郎はおっさんになってはいても、高校生だった頃(3部の主人公)がキャラとして過去になっているのとは違う。世間一般にとっての承太郎といえば、やはり3部主人公である承太郎なのだ。
だが、キャラの中身である声優さん達は否応なしに加齢からは逃れられないので、月日と共に「声優=キャラ」商法は使えなくなってしまう。時間が経てば経つ程に、キャラとの違和感は広がる一方である。
ならば逆に違和感を排除するのにはどうしたら良いか?
一つは、初音ミク方式のライブだろう。
キャラの3Dモデルかライブ用のアニメ画像を用意して、舞台裏で声優さんに歌って貰うのだ。舞台裏に声優さんが必要なのは、MCの為である。
しかし僕はこの方法には賛同できない。
まず第一にコストが掛かりすぎる。声優さんを直に歌わせた方が、間違いなく安上がりだ。それから声優さんの顔が見たいというファンの要望にも応えられない。加えて、せっかくのライブなのに声優さんを黒子扱いも、気の毒である。
そもそも僕は初音ミク方式のライブには違和感を覚えるタイプだ。
これってライブである必要はなくね? と。
それならば、僕は幼女なのはのコスプレをした田村ゆかりと幼女フェイトのコスプレをした水樹奈々の方がマシだと支持しよう。
もう一つの手段としては、可能な限りキャラと声優を似せる努力をする事である。
具体的にはVTuberの『バーチャルグランドマザー』と小林幸子だ。
ここまで似せていれば、アニメ『バーチャルさんはみている』の声優ライブイベントに、小林幸子が「リアル」バーチャルグランドマザーとして出演しても、ほとんどの者が違和感を覚えないだろう。
ただし、この方式だと3DモデルのVTuber的な番組か、原作なしのオリジナルアニメのみになってしまうが。
超次元革命アニメ云々とやらは、あ、うん、あれはまあ(苦笑
とりあえず、まとめる努力をする
ついにまとめに入るとしよう。
完全2次元(アニメキャラ)と完全3次元(声優)、それをイベント限定で橋渡しするいわば2.5次元の存在。
供給元の方で完全に融合させる事など不可能である。
ファンによる脳内補完によって溝を埋めるしかないのだ。
その脳内補完力の源はファンそれぞれだろう。
推しキャラに対する愛か。
推し声優に対する愛か。
推しアニメに対する愛か。
もっとオタク的なアレか。
答えと根元は、ファンそれぞれの中に存在する。
ハッキリ云う。
イベント内で「キャラ=声優」と認識して楽しむ分には、ファンとして何ら問題はない。だがイベント外でそのような認識は、人としてちょっとヤバいと思う。
最後に余談
某雨宮な天さんではないが、声優のアイドル売りと本職のアイドルを同一視するのも、あまりよろしくないかと。
芸歴初期における『声の役者』さん達を売り出す方程式の一つが、声優のドル売りであって、その先で役者として生き残れれば、三十代、四十代、五十代以上でも相応に活躍できる筈だ。
アイドル売りする時期なんて、キャリアのほんの初期だけ。
ビッキーの中の人みたく、二十代半ばですでに既にベテラン的な芸歴の人も例外的にいるけれど。そりゃあ、雨宮天さん並のルックスだと、所属事務所もアイドル売りしたくなるのも分かるといえば分かるが。
しかし、である。
某王国民の姫みたいに、四十路までアイドルを演じ続ける羽目になってしまうと、後が悲惨だと思うのだが。そう考えれば、某「三次元なのにグラビアの度に顔の作画が変わる」と言われる人気声優さんの結婚報告も実にめでたいではないか。
たまに「アイドルは恋愛してはダメなのか」といった疑問が、当のアイドル側から投げかけられる事があるが、僕的には「いいんじゃないの? ただしファンの偶像としての強み(セールスポイント)を喪失するから人気は落ちるだろうし、そんなアイドルにスポンサーも投資はしないだろうが」と答える。
また「恋愛したって恋愛する前と同等に応援して」とかホザく輩には、寝言は寝てから云ってくれ、としか返事できない。身勝手すぎるし、だったらアイドル以外の要素で勝負してくれ、客商売なんだから。贔屓にしていた寿司職人が「これからはカップラーメンを店のメインにするので、握っていた頃と変わらず店に通ってくれ」と言ったら、貴方はそれまで通り、その寿司屋に行って寿司ではなくカップラーメンを食えるのだろうか? 大半がその店を見限って、別の寿司屋に行くと思う。そういう事だ。
次いで、似て非なるが「アイドル売りしている声優は恋愛してはダメなのか」という問いに関しては、僕は「恋愛するべき」だと思う。
前途した通りに、本職は声優なのだから。
声優とはいってもルックスやマルチタレント的な役割も要求される時代だが、本質はアイドル的な要素でキャリアの初期をコーティングしている『声の役者』さんだ。
中の人(声優)を売り出したい商法に、ファンとして乗っかるにしても、アニメファンとして最低限の分別は持つべきだ、と僕は主張する。
アニメのライブイベントにおける声優さんとの精神的距離感は、それこそ千差万別だ。
けれど、推し声優さんの応援というのならば、彼女達、彼等の恋愛や結婚報告を祝福できる程度には、節度と理性を保つべきであろう。