【自己責任論の否定は時すでに遅し】「新型コロナ禍」時代の正しい求職活動について【仕事の就き方】
さあ、今日も戯れ言《
新型コロナ禍の影響で求人が激減
有効求人倍率(季節調整値)0.96倍
ソースは以下の記事になる。
埼玉県についてだ。東京や千葉、横浜、関東外の地域はまた別の数字になる。
涙の求職女性「募集は終わったと断られて…」失望の日々、企業側も苦境 : 経済 : ニュース : 読売新聞オンライン
埼玉労働局が2日に発表した8月の埼玉県内の有効求人倍率(季節調整値)は0・96倍で、5年3か月ぶりに1倍を下回った。新型コロナウイルス感染拡大に伴う企業の業績悪化で、求人数が減少した一方、失業による求職者が増加したのが要因。
引用:読売新聞
記事によると業種別で最も落ち込みが激しいのが、美容室など生活関連サービス業の求人。まあ、そうだろうなとしか思えない。こんな時勢に美容院とか美容室に通う(金銭的および精神的な)余裕は、ほとんどの者がないだろう。
宿泊・飲食サービス業も依然として厳しい状況が続いており、製造業も大きく落ち込み始めている。
その一方で、8月の有効求職者数は9万1465人で、7月から6.8%増加。仕事(求人)が減って求職者(失業者)が増えているという、雇用情勢の悪化が浮き彫りに。
企業は従業員との共倒れを拒否
どう転がっても、短期的なスパンで経済が全快するなんて奇跡は起こらない。
希望的観測で2023年か。そして以前よりも2割以上経済規模は縮小しそう。
当の僕でさえ、まだ外食は0
会社にどうにかしろ、国(政府)や地方自治体にどうにかしてくれ、生活を守ってくれ、と声高に叫んだところで、「ない袖は振れぬ」という現実を突きつけられるだけだ。
現在の「新型コロナ禍」みたいな状況は、誰も予想していなかった未曾有なので、原発事故や大震災みたいに「想定外じゃなくて怠慢と無能だろ」という批判はしても無意味だ。
無駄な人員をカット、新規採用を抑える。
この2点を断行しなければ、業績下降中である企業の財政、マネーフローは悪化の一途なのは目に見えている。
仕事が減っている業種は、それに伴って人員も整理するしかない。むろん「新型コロナ禍」が収まった後、同業他社を出し抜いてのブーストを狙うのならば、ここは人材確保の賭けに出るという選択肢もあるにはある。
なんにせよ「会社にぶら下がりたい、しがみつきたいし、自分から他のリアクションを起こせない」という会社にとって「不要な」人材はカットしていきたいだろう。
遅過ぎた社会的自己責任論の否定
いわゆる「氷河期世代(団塊ジュニア)」が未曾有の就職難に陥った頃ならば、まだ社会的な自己責任論の否定および是正は間に合ったのかもしれない。原因は今回の様なウィルスではなかった。
でも、もう遅い。
本当に手遅れな状況になった。
かつての自己責任論ならば政府や政治、あるいは企業の在り方で軌道修正可能だった様に思える。単純に自己責任論の被害者が相対的に少なかった(一部の世代のみ)から。
自己責任論の犠牲者に救いの手を差し伸べる事ができる者が多かった時ならば、どうにかなったと思う。氷河期世代が救済され自己責任論が否定された社会ならば、現状の「新型コロナ禍」による世相と、その社会は少しは違ったカタチになっていたかも。
しかし今、「新型コロナ禍」を発端とした現在の「自己責任論」被害者は「氷河期世代」の切り捨て時代よりも、ずっと多くなってしまった。一部の勝ち組を除き全世代を巻き込んでいる。今、就職難に晒されている学生たちにも同情の念は薄い。氷河期世代の就職難に続き2度目で、世間は耐性が付いてしまっているので。
今回の第2氷河期世代の就職状況を救えるのならば、かつての第1氷河期だって救っていた筈だから。繰り返すが、自己責任論の被害者たちを助けられる余裕は、防疫で摩耗している今の日本と企業にはない。
残酷な話、自己責任論を社会に対して否定できる猶予期間は過ぎてしまっているので、潔く諦めて、個々の自己責任で自助していくしかないだろう。
時代は真の意味で「自己責任」なのだ。
不正受給ではなく生活保護を支給してもらえる者は素直に頼ろう
ぶっちゃけると、生活保護を受けられるのならば、割り切って受けた方が良い。
とはいっても生活保護受給のハードルは決して低くはない。
最低でも――
●心身共に労働可能ならば求職活動をアピールし続ける必要がある
●支援可能者がゼロ=身内や親類と絶縁しておく必要がある(親類と地理的に離れて独り暮らし必須)
●貯金などの財産を持てない=隠し持っていた場合は不正受給になる
それから精神的なハードルも高い。
路上生活者(ホームレス)に生活保護を勧めても、一定数以上の者は「生活保護を選ぶくらいならば自決する」と拒否をする。最後のプライドが許さないからだと。
人間には自尊心がある。
それをキレイに棄てるのは容易ではない。
京アニ事件の青葉だって「生活保護から抜け出したかった」という理由で、小説の新人賞に応募したのであって。
役所に務めている知人の談だが、生活保護受給者の多くは「厚かましくて横柄な」お客様的態度が目立つとの事。謙虚さがなく「こりゃダメだ」という人間が多いらしい。あの青葉ですら「生活保護から抜け出したい」という神経があったのだが、まあ、その、やはり生活保護のイメージって世間的には悪いよなぁ(苦笑
えり好みせずに職を求めても就けなかった人は、セーフティネットという国の制度を利用できるだろうが、仕事をえり好みして「そんな条件ならば働いたら負け」という「職に就かない人」にまで生活保護の認可が下りるとは、ちょっと考えにくい。つーか、流石に人生を舐め過ぎである。審査する方だってバカではないのだから。
僕は生活保護は嫌だ。色々な意味で荒むのは目に見えている。
仕事もせずに毎日毎日暇を持て余していたら、月に20万円以下の支給額だとやれる事が少なくて、ほぼ確実に精神を病むと思う。来る日も来る日もゲームとか映画やアニメとか、散歩とか、遊びとか、すぐに飽きるに決まっている。そんな生活は認知症へ一直線だ。社会(他人)との繋がりも希薄になるし。
逆に仕事をしていれば、貧乏暇なしであっても、そんなに金を使わなくても、それなりに生活は充実する。悪く言ってしまえば、やり甲斐搾取は別にして、仕事はメンタルを保つ上で有効な暇潰しでもある。日々仕事で忙しいから休日がありがたいのだ。
低賃金で働くよりは生活保護の方がマシ(実際はその手の者には生活保護の許可は下りないが)――と嘯いている者の大半は強がりで、低賃金の仕事というか簡単な仕事であっても、まともにこなせない程の能力なんだと、僕は想像している。
スポンサーリンク
新時代に合った就職の仕方
若いうちに3K仕事の経験を
よくある誤解の1つに「年齢がいってしまっているから、転職しようにも求人が(未経験で誰でもできる)3Kしかない」という中高年の嘆きだ。
3Kとは「キツイ」「汚い」「危険」の頭文字であり、主にブルーカラー(現場系と技能系)を指す業種・職種である。
仕事のできない中高年は、3Kを「誰でもできる」と舐めている傾向が散見できる。ちょっと想像力があれば、マニュアル通りにこなせれば誰でも一定以上の形になる=単純作業ほど個々人の要領とスペック差が顕著に出る、くらい分かりそうなものだが。
そして底辺職場や低レベル会社ほどマニュアルが明文化および最適化されていないので、単純な業務であっても普通にこなせる様になるまで割と大変だったりする。
真面目な話、高度な専門職の方が新しい職場にアジャストするのは容易だろう。
一応、工学系で研究関連の職場に就いていた経験もある。理不尽なハウスルールや人によって教育内容が違う村社会的な3K職場よりも、業務レベルが高度な職場の方が担当プロジェクトに専念できる様になる期間は短かった。色々と合理的でレールが敷かれており、本当に自分の専門をやれば良いだけだし。
だが、そういった企業にも欠点はあり、いわゆる(ゼネラリスト的な視点が欠けた)「専門バカ」になってしまう落とし穴はあったりする。
実のところ高給な専門バカだった頃は、自分が勤務しているオフィスの環境がビルメン、セキュリティ、清掃、衛生管理といった様々なスタッフに支えられて維持されているという視点・視野すら不理解な「世間知らず」「仕事知らず」であった(苦笑
それに3Kのうちのキツイ、であるが「ハードな肉体系仕事を素早く正確に効率よくこなせる」のは、誇ってよい人間としてのスペックであり技能だ。残酷な話、キツイ肉体労働が無理という時点で、そのキツイ肉体労働をこなせる者に対して「その分野では」人間として低スペック&低スキルである。
サービス残業が横行しているリスクが高い飲食業界は避けた方が賢明だが、その他の3K業種は、将来の為の保険として若いうちに職務経験を積んていた方が良い。
人間、どうしたって老化には抗えない。
未経験でもOKな3K業種会社はブラックな可能性が高い。会社はホワイト寄りでも現場はブラックに染まっていたりする。まとも(給与や支払いがホワイト)な3K会社ならば、ぶっちゃけ「未経験の中高年は敬遠」する。3K仕事で未経験の中高年を雇うというケースは、採用後に高校生のアルバイト以下の立場で、頭数だけいればいいや、というお子様以下の見下された屈辱的な扱いと受けると覚悟するべきだろう。嫌ならば早く仕事を覚えて、その職場で1人前(戦力)になるしかない。
そんでもって、リストラに遭う様なスペックの中高年だと、未経験の3K仕事をやらせても、要領や物覚え、体力と高校生のアルバイトよりも使えないのが現実だ。
逆にいえば、職務経験があり最低限のノウハウを有していれば、ホワイトカラーな前職でリストラに遭う程度のスペックの中高年であっても、3K職場ならば、すぐに周囲から一目置かれる様になるだろう。10人に1人か、20人に1人くらいは、そういった「使える」中高年も実際にいるのだ。
ほどんどが、体力ない+物覚えと要領が悪いし、自分勝手だし、ここでは仕事できない新人(半人前以下)なのに意味不明にプライドだけは1人前だし、「そりゃ、こんな無能に高い給料を支払い続ける会社はないよな」と、被リストラに納得する中高年ばかりだが。
とにかく、年食ってから惨めな思いをしない為にも、職務経験はあった方がよい。
ホワイトカラーを貫くならば外資系で
会社に人材育成して欲しい。
安定した生活がしたいので(無能でもクビになりにくい)大企業にぶら下がる。
こういった思考のホワイトカラーは通用しない時代がすぐそこだ。
副業をやる者が増えているが、副業=Wワーク、という思考ならばホワイトカラーには向いていない。ホワイトカラーならば、副業=サイドビジネスである。
徹底して自己研鑽、自己投資、ステップアップへの挑戦、リスクをとっての勝負ができないのならばホワイトカラーではなくブルーカラーを目指すべき。
1000万円の給与を年に得ようとすれば、会社の人脈・設備・看板を利用して経営者および株主に純利益5000万円を提供しなければならない。あるいは将来的にそれに相当した成果か。真のホワイトカラーとはそういった世界と価値観で勝負できる者を指す。
上記のマインドがない時点で、貴方はホワイトカラーとしては劣等生、失格である。
というか、企業から支給される給与以上に結果を出せる者ならば、リストラ(戦力外)対象にならないし、仮にリストラされたり所属企業が倒産しても、さらなる好条件でヘッドハンティングされる筈だから。
机に座っての事務的PC作業は、ホワイトカラーでなくブルーカラーだからね?
高卒や高専卒の工場の作業員も、工場内オフィスで事務や経理的なPC作業くらいは楽にこなすので。PCでの工程管理なんかも、工場内オフィスで行う会社が多いのでは?
開発系の設計やデータ収集・統計は流石に本社や別棟の専門部署でやるだろう。
外資系で戦う覚悟がない者は、前途した様に「1度は3K業種で職務経験を積んでから」サラリーマンになった方が安全だと思う。
会社に純利益500万円しか年にもたらしていないのに、年1000万円給与を貰っている「お荷物」中高年社員になってリストラされた場合、転職時に詰む。
親が金持ちでなければ大学は時間の無駄
大学新卒カードの為。
できるだけ良い企業に入って、人生の面倒をみて貰うのが目的。
上2点の様に「無能が顕著な」考え方(狙い)で大学に行くのならば、高卒で3K業種に就職しつつ、投資やビジネスの訓練を積んだ方が遙かにマシだ。
理系の大学ならば、実験・レポート・研究と「実社会でも応用が利く」論理的思考の訓練になるかもしれないけれど、奨学金+バイト代で文系の大学を卒業とか、貴重な時間をドブに棄てているに等しい。
そりゃ、親に金があって奨学金やバイトが要らないのならば、大学の4年間は有意義な時間になるだろう。だが、親に金がなくバイトに時間を食われて奨学金という名の借金を背負うのならば、高卒で3K職場の方が将来的には潰しが利く。
大学自体は年齢がいくつになって通えるし、通信制大学・大学院だってある。
リストラされて潰しが利かない「自称・管理職ができる五十代」のダメっぷりを目にすれば、潰しの利く労働者にならなければという危機感も抱くだろう。そうそう、労働者が嫌ならば起業家にでもなってくれ。前途した5000万円という売り上げを起業して得ても、そこから自分の手元に1000万円を残す苦労を味わえるから。
転職や就職についてのまとめ
ホワイトカラーならば、1000万円の給与に対して会社に5000万円の利益を提供できる人材になれ。仕事はワークではなくビジネスだ。ワークがいいのならばホワイトカラーではなくブルーカラーを目指せ。
ブルーカラーならば、手に職を付けて職務経験を。そして資格を取得しよう。専門職として就職・転職市場で強いのはホワイトカラーではなくブルーカラーだ。
政府や企業に文句いっている暇があるのならば、自己研鑽(勉強)してインターネットビジネスでも立ち上げよう。会社から貰う給与やバイト代の1万円ではなく、純粋に自力で1万円を生み出す苦労を経験すれば、少しは仕事に対しての見方が変わるだろうから。