僕は【戯れ記事《ゴト》遣い】

「戯れ言遣い」ならぬ「戯れ記事遣い」を名乗るブロガーです。 雑記系ですが、読んで損したと憤慨されても困ります。 だってコレは「戯れ言」だから――

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球詠アフター

球詠アフター【第73話から分岐するIF】

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 注)当小説は「こんな未来もあるかもしれない」というIFを描いた同人作品です

記事ページではく固定ページですので、コメントはできません

球詠アフター

~第73話から分岐するIFの未来~

◆Chapter01:最後の夏が終わって

――息吹、高校3年の秋。
202X年10月19日。

 

新越谷高校3年生、川口息吹と大村白菊の2人は早朝から快速電車に揺られていた。

理由は皇京大学硬式野球部の練習に「特別課外実習」という名目で参加する為である。合宿の日程は月~金の4泊5日だ。

合宿期間中は野球部専用寮に泊まる。

 

白菊は特待生での、息吹はスポーツ推薦枠での来春入学が内定しているからだ。

大学側からの誘いに新越谷高校が乗った形である。

実習としての内実は「入部が確定しているので少しでも多く、そして少しでも早くから練習に参加しろ」だった。

流石は野球の名門大学である。

 

始発に乗っているので、電車は空いていた。

白菊が息吹に話しかける。

 

「そういえば、怜先輩と理沙先輩に会うのって夏の県大会決勝以来ですね」

 

「春とは違って夏の全国大会の時は、先輩達も大学リーグでこっちに会いに来られる余裕なかったものね」

 

「凄いですよね、2人共」

 

「1年春からレギュラーで、キャプテンはリーグ最優秀選手で理沙先輩はホームラン&打点の二冠王、か」

 

今や大学野球界のスター選手の仲間入りだ。

息吹にとって岡田 怜の活躍は誇らしかった。

むろん藤原理沙の活躍も嬉しい。

 

「新越谷で活躍した時も凄かったですけれど」

 

「あの頃はヨミと希が目立っていたから」

 

「高校時代よりもプロのスカウトからの評価がグンと上がって、3年後のドラフトが楽しみです。2人とも上位指名、間違いなしです」

 

「ドラフトといえば、明日が希の運命の日ね」

 

「球団の公言通りにハドバンが単独1位指名で、そのまま希望球団にプロ入りですよ。心配いりません。希さんもいよいよプロです」

 

今年のドラフト会議。

高校生で1位指名が確実視されているのは3名。

4~6球団の競合が予想されている美園学院の諸積。埼玉京武ライオンズが単独指名すると目されている咲桜の松井。そして福岡ハードバンクホークスが1位指名を公言済みで本人も「他の球団ならば大学進学」と表明している新越谷の中村だ。

 

「――ヨミさんは後悔していないのでしょうか?」

 

白菊の声が憂いを帯びる。

6球団から調査書が届き、ドラフト候補(予想は3巡目か4巡目)に挙がりながらプロ志望届を出さなかった武田詠深は、大学野球に進む。

しかも、なんと珠川大学を選んだ。

皇京大学と同じ首都大学リーグのチームであるが、1部の皇京大学とは違い珠川大学は2部リーグなのである。

これにはマスコミと高校野球ファンは驚いた。

ドラフト候補の詠深ならば強豪大学を選び放題だった筈なのに。

 

「珠姫、菫、稜と同じチームっていうのを最優先したんだから後悔なんてないでしょ」

 

詠深は、大学で山崎珠姫と野球を続ける為に高卒でのプロ入りを選択肢から外す。

その選択に、藤田 菫と川﨑 稜が付き合った形である。

この2人は2人で、色々と思うところがあっての進路、詠深と珠姫と同じチームでの挑戦に違いない。何故ならば最後の夏大会、自分と白菊とは違い2人は――

 

「最後の夏、予選から全国まで私はトップ固定で、白菊は4番固定だった」

 

「1番が息吹さん、2番が希さんのコンビは本当に良く機能しましたね」

 

「でも、新越谷での私の打順は、きっと下位打線が私的ベストナイン」

 

息吹が呟く。

1番が希、2番が菫、3番がキャプテン、4番が理沙先輩、5番が珠姫、6番が白菊、7番が私、8番がヨミ、9番が稜。それが――最高の私的打順。この打順が新越谷。

 

「楽しかったですね、人数ギリギリだった頃」

 

「またあの頃みたいにキャプテンと野球ができる」

 

待ちに待っていた時間がやってくる。

自分が最高学年だった2年の秋以降よりも、怜がいた頃の方が楽しかった。

それは希も一緒だったと感じている。

2年生の時に念願だった全国出場を果たし、そして希が慕っている川原 光が部活引退した後、希は目標を失った様になっていた。練習も「今よりも将来を見据えた」個人メニューに偏り、主将になった芳乃も黙認する。2年生1年生から不満があるのは分かっていたが、3年生の自分たちは希の気持ちを優先した。チーム練習への参加は最低限だったが、それでも希は全国で活躍した。全国区で天才打者と名が売れる。だが、希は明かに高校野球に対し2年生の頃の様なモチベーションが欠けていた。5割以上簡単に打ててしまう投手の球を打つ事を時間の無駄と思っているのを、息吹は心が読めるかのように感じていた。

実質、手抜きに近かった高校3年の希。

 

(それでも打率6割オーバーだったけど)

 

モチベーション全開なら、きっと7割打っていた。

 

(ま、2年の秋からU18日本代表チームの方が希のメインになっていたし)

 

怜たちが引退後の新チームは、希1人が抜けても大丈夫な程には選手層が充実する。

 

息吹も3年春と最後の夏の全国は、怜たちと出場した全国ほどの感動はなかった。

どこか冷めて他人事めいていたのだ。

2年生の頃よりもずっと実力をつけて、そして大活躍して強豪大学が刮目する個人成績を残した筈なのに、2年生の頃に戻りたいとすら密かに思った。

けれども再び――

 

「またキャプテン達と一緒に優勝したい」

 

「ふふっ。怜先輩が例外的に新2年生の来春で新キャプテンに内定しているって、なんだか運命を感じます」

 

「運命?」

 

白菊は上品に微笑む。

「はい。きっと息吹さんにキャプテンって呼んでもらう運命ですよ」

◆Chapter02:世代最高の二遊間コンビ

皇京大学野球部専門寮に到着した。

名門校だけあり、洒脱なマンションといった外観だ。

規模も大きい。

 

「来年度の新入生の、大村と川口だよね?」

 

綺麗なエントランスホールの前。

ジャージ姿の野球部所属と思われる学生が息吹と白菊を出迎えた。

 

「私は3年、来年は4年の笹川。案内役だよ」

 

「大村白菊です」

「川口息吹です」

 

2人は丁寧に腰を折った。

 

「知ってるよ有名人。TVで活躍しているの何度も観たし。特に全国大会通算3ホーマーの大砲、大村白菊」

 

「恐縮です」と、白菊。

 

笹川は息吹と白菊を先導する。

その背を追いながら息吹は訊いた。

 

「入学前に練習に参加する新入生って、他にもいるんですか?」

 

「ううん、今日はあんた達だけ。他の推薦組は年明け。セレクション組は希望すれば2月からかな。ってか、他の推薦組は審査中でまだ内定出していないし、セレクションが行われるのは来月だ」

 

息吹と白菊は顔を見合わせた。

背中越しに笹川が言う。

 

「この時期からの練習参加は初の特例だよ。新越谷出身の岡田と藤原が大活躍したからって感じかな」

 

「岡田先輩って来春からキャプテンなんですよね?」

 

白菊の確認に、笹川は足を止めて首肯した。

 

「3年前に監督が代わってから、ウチは超実力主義になった影響だね」

 

新2年生が主将は、野球部史上初かつ異例中の異例との事。

それだけ今年の活躍が圧倒的だったという証左である。

逆に副主将(新4年生が予定)はまだ未決定だった。

 

「ちなみに私は4軍。最下層だよ」

 

「4軍まであるんですか」と、息吹は驚く。

 

この大学の野球部は1軍が25名、2軍が30名前後、3軍が30~40名、4軍が20~30名という構成が基本との話だ。むろん年度によって人数は上下する。

 

新越谷高校は、息吹たちの代が最高学年になり新入生が入ってきた段階で、ようやく1軍と2軍に分けられる規模になった。新3年生は息吹の双子の妹、芳乃(主将、マネージャーという名目の指揮官)を除き7名。新2年生は15人。そして新1年生は22人で、合計で44名という所帯だった。

1軍がベンチ入り20名で、それ以外が2軍という区分で練習していた。

それとは別にマネージャーの生徒が合計で5名いる。来年度も2~3名は入る筈だ。

 

全国大会での活躍の甲斐があってか、新1年生は地区選抜レベルが6名に、全国選抜レベルが3名と新2年生(地区強豪校レギュラークラスが最高)と比べて格段にレベルが上がっていた。中でも二遊間コンビは中学ナンバーワン(U15日本代表)で、高確率で2年後のドラフトで指名されるだろう。

二遊間コンビは打順も4番の白菊を挟んで、クリーンナップを担っていた。打率も共に4割を超え5割に近い成績を残す。仮に梁幽館、咲桜、美園学院を選んでいても1年の夏からレギュラーだっただろうという圧倒的な才能と実力だった。

実際、埼玉のみならず日本全国の強豪校から「将来のプロ入り」まで見越して好条件でスカウトされていた2人であったが――

〇1年の夏から確実にレギュラーになれる

〇設備が充実している

〇マスコミが注目している

〇全国を狙えるチーム力がある

といった条件から「埼玉3強」ではなく新越谷を選択したといった次第だ。

中学時代地区予選ベスト16レベルの菫と稜に対して、世界大会U15日本代表の二遊間コンビ。レギュラー争いは勝負にすらならなかった。

 

正捕手の珠姫ですら、エースの詠深が登板する時以外はベンチに下がっていた。

そんなレベルの中、希は別格にしても自分と白菊が堂々とレギュラーかつ上位打線を任されていたのは、2年生の頃を思えば不思議といえば不思議な感覚である。

 

息吹たちが引退した後の新チームは秋の県大会を制覇。単純な戦力比較ならば、間違いなく昨年度の新チーム始動時点よりも強い。もうじき始まる秋の関東大会の優勝候補筆頭である。贔屓目なしに全国レベルでも屈指の戦力だ。

 

「4軍の部員は1軍2軍の練習補助のみならず、交代でゴミ出しとか寮の雑事と洗濯や清掃をやっている。まさに下っ端だね」

 

その上に位置する3軍は、練習設備と用具の整備およびグラウンドの管理を交代で請け負う。むろん練習の補助もだ。マネージャーの学生もいるが、彼女たちの役割はスコアラーとデータ分析、マッサージ等の選手のケア、そして監督とコーチの補助といった面を担当だ。

練習に専念できるのは1軍と2軍のみである。

 

白菊が息吹に耳打ちした。

 

「息吹さん、ひょっとして私達は寮で雑用する為に呼ばれたのでは?」

 

「ちょっ、白菊、声大きい」

 

「そんなわけないでしょ」と、笹川は苦笑する。

 

特待生は1軍スタート、推薦組は1軍と2軍に振り分けられる。セレクション合格組は3軍スタート。その他一般入試組は4軍からだ。

 

「あんた達は1軍が決まっているの。じゃなければわざわざこんな早い時期に呼んだりしないわよ」

 

息吹と白菊はそれぞれの個室に案内された。

来年から4年間使用する予定の部屋だ。

寮内には不祥事を防ぐ為にあらゆる箇所に防犯カメラが設置されているので、2軍以下の選手にパワハラしない様にと笹川は釘を刺す。

学年と年齢よりも、何軍に所属しているかの方がヒエラルキーとして重要であった。

 

「あの岡田の後輩だし、2軍以下をいびったりしなさそうだけどね、あんた達は」

◆Chapter03:大学野球での再会

息吹と白菊は用意されていた練習用ユニフォームに着替えた。

そのまま野球用グラウンドに連れていかれる。

 

「このメイングラウンドは主に1軍が使う」

 

笹川は隣を指さした。

 

「あっちのサブは2軍がメイン。で、3軍と4軍は2軍が使わない時にサブグラウンドを使う。2軍も上位メンバーは1軍に混じってメインを使う時もある」

 

つまり3軍と4軍は絶対にメイングラウンドは使えない。

露骨な格差であった。

それはグラウンドのみならず、トレーニング室および屋内練習場(フリーバッティングも可能な専用の体育館)も同じ。常に1軍が優先されて、次に2軍。3軍と4軍は設備が空いている隙間時間しか使用できない。それも自主練がメインである。

トレーナーやコーチに個別指導されるのは2軍より上だ。

3軍以下の選手は2軍に上がる為にはどうにかしてトレーナー、コーチ、監督の目に留まる必要がある。

ただしチャンスが不公平なわけでなく、1月上旬、4月上旬、8月上旬と年に3度の「選抜期間」が設定されており、その期間内に実施される各種のテストおよび紅白戦で結果を出せば誰もが平等に上に行ける。逆に言えば下に落とされる事もある。

 

「息吹さん息吹さん、なんか凄いとこ来ちゃいましたね」

 

「思っていても声に出さないでよ」

 

「あんた達、野球エリートにしては一般人っぽいね」

 

「まだまだ初心者ですから」と、息吹。

 

「はい。始めたのは高校入ってからです」

 

「キャリア3年で全国であの活躍だから天才の部類ってか、4軍の凡人からすれば立派な野球エリートだって」

 

笹川はベンチに向け、大きな声を張り上げた。

 

「キャプテン! 後輩を連れて来ました!」

 

その声に、ベンチから3名が駆け寄って来る。

息吹の胸がときめく。

 

(キャプテン!!)

 

だが、最初に話しかけてきたのは、怜でも理沙でもなくもう1名であった。

 

「久しぶり。私のコト覚えている?」

 

「はい。金子小陽さんですよね。お久しぶりです」

「覚えていますし、普通に知っていますよ」

 

姫宮高校出身というか、元・新越谷高校というか、そもそも1番ショートのレギュラーだ。怜が2番センター、理沙が4番サードである。

 

「怜先輩が推挙してくださったお陰で、私と息吹さんは無試験で都内一流大学に入学できます。本当に助かりました」

 

「いや白菊。私は形式だけとはいえ、通常推薦組と一緒に小論文の提出と面接試験があるんだけど」

 

「そうだったんですか!? 初耳です」

 

「学校の成績的に、白菊が無試験の方が安全と思ったから特待枠を譲ったのよ」

 

「事実とはいえ、微妙に傷つきます」

 

特待生枠の方が貴重(1枠が基本)で、学費など必要経費が全て免除になるが、息吹の推薦枠も学校側から特別奨学金が支給、という形式で実質的に学費等が無料になる契約だった。ただし推薦枠なので無試験入学といかない上に、入学後のカリキュラムも相応に学業を含んでいる。卒業研究と卒論もあるのだ。

白菊の特待生枠は、本当に野球だけやっていれば自動的に卒業だった。講義は自主的に受けられるが単位取得には関係ない。

 

「ってか、白菊の成績だと推薦枠だって皇京をまともに卒業は怪しいでしょ」

 

「面目ありません。恥ずかしながらお母様もその点では非常に安心なさっておりました」

 

理沙が少し引き攣った顔になる。

 

「ええと、白菊ちゃんって文武両道だと思っていたけど」

 

「あ、そっか。理沙先輩は知らなかったでしょうが、私達の中で白菊と稜の成績はちょっとヤバ目でした。普通に劣等生の部類ですよ」

 

「なんとヨミさんが私達の中で成績トップなんです」

 

そう胸を張った白菊に怜、理沙、小陽は複雑な顔になった。

◆Chapter04:フリーバッティング

監督、コーチ陣および1軍メンバーが注視する中、息吹と白菊の練習が始まる。

それを球拾いの為に外野に陣取っている3軍と4軍(ジャンケンで負けた連中、合わせて計20人)が、キャッチボールしながら見守る。

 

ピッチングマシンではなく1軍ピッチャーの瀬川(現2年)が投げる。

 

3軍と4軍が囁き合う。

「あれって今日から参加の新人?」

「新越谷の川口と大村」

「誰、それ」

「知らないの? 有名人じゃん」

「打席はどっち?」

「左に入っているから、スイッチの川口でしょ」

 

息吹が鋭いドライブが効いた打球を外野に飛ばす。

制球がよい。打ちやすい球だ、と息吹は気持ちよくスイングする。

 

(初日だからサービスしてくれるわね)

 

「うわっ、打球が鋭い、しかも伸びる」

「フォームが柔らかいなぁ」

「あれが全国レギュラークラスの打者か」

「やっぱ1軍確約は凄いわ」

「私達とはモノが違う」

「選球眼いい」

「際どい球に全く手を出さない」

「3年生時の通算出塁率、洒落になっていない数字だったよ。特に四球の数」

「明日のドラ1確実の中村 希よりもこっちが天才って声もあるくらい」

「川口、中村は高校野球史上最高の1・2番コンビって評判だったからね」

「あ、そんな有名人だったのね」

「走塁センスも凄いし、これでまだキャリア3年という天才というか化物」

「2年の秋大会から盗塁数が激増して、3年時の公式通算は20幾つだっけ?」

「公式戦だけで23だったと思う。練習試合を含めて失敗1の神記録」

「1試合で4盗塁を記録した事あるよ」

「ほとんどの試合で1回の先頭の川口出塁、盗塁でノーアウト2塁か3塁、中村があっさりとタイムリー、でサクッと点が入るというチートだった」

「岡田の追っかけだったからドラフト指名されなかっただけで、プロ志望だったら少なくても4球団は育成1位で指名したかったってネット情報」

「それなんJとなんGじゃない?」

 

「おい、無駄口を叩くな3軍4軍!」

と、コーチが叱咤を飛ばし会話は止んだ。

 

ヒット性の当たりを連発する息吹。

外野の頭を越す豪快な当たりこそ少ないが、綺麗なライナーが糸を引くように外野に伸びていく。

シェアなバッティングは見る者を唸らせた。

 

左投げの栗林(現2年)に交代すると、息吹は右打席に移動。

スイッチしても変わらずに鋭いライナーを打つ。

 

監督が「OK。もういい」と、息吹の番は終わった。

怜は満足げだ。

 

「夏よりもパワーが増して力強くなっているな、息吹」

 

「キャプテンがここに誘ってくれてフィジカル強化、頑張りましたから」

 

「相変わらずセンスは流石だ」

 

「天才の希が近くにいるので、実感ないですけどね」

 

「希はプロ1年目から3割を打ちそうだしなぁ」

 

「それにお客さん扱いで、かなり打ち易い球を投げてもらいましたし」

 

肩を竦めた怜に、理沙が次打者を促す。

 

「次、白菊ちゃん」

「はい! 参ります」

 

気合いを入れた白菊がゲージに入った。

やや力みと固さがみえる白菊は、打ち損ねもあった。しかし芯を食った打球は軽々と外野の定位置を超え、その半数がフェンスオーバーだ。

息吹は渋面だ。リラックスすれば、あの程度の球、白菊ならもっと打てるのに。

圧倒的な飛距離とパワーに、球拾い担当の外野陣(3軍&4軍)は感嘆する。

 

「なんて飛距離」

「うぉ打球がえぐい」

「もう来シーズンの新レギュラーの4番か5番が確定じゃん」

「ってか、ウチの左右の新エースがパカスカ打たれているの、不安なんだが」

「打たせているんじゃないの?」

「ンにゃ、試しに本気で抑えにいかせるって小陽が話していたよ」

「お前、3人衆と仲良いんだっけ」

「小陽とは学科が一緒っスよ、先輩」

「そういや岡田のヤツ、特待生のくせに成績もトップクラスなんだよな」

「怜は真面目ちゃんだから」

「お前は少し真面目にやれよ。そうすればお前ならすぐに2軍にいけるぞ?」

「ってか、来年のウチって地味にヤバくね?」

「岡田、藤原、金子以外のレギュラーと主力が全員卒業だからな」

「新越谷なら武田も獲った方が良かったかも」

「武田を獲っていればエースだけは何とかなったよね」

 

去年、今年と強かった反動が来年度に一気にくる。

新4年生の投手陣は手薄。新2年生の投手は期待できない。

新3年生の左右エース(予定)も息吹と白菊相手に抑えにいってこの様、と来年度の戦力ダウンに内心で焦るコーチ達。野手にしても準レギュラークラスは新2年生、新3年生、新4年生に揃っているが絶対的な新レギュラーがいない。レギュラー当確なのは、1年生レギュラーだった新2年生の3名だけ。

 

怜が異例のキャプテン抜擢と、息吹と白菊をこの時期に呼んだのには相応の理由があった。

監督が小陽に言った。

 

「やっぱり1番がお前、2番が岡田、3番が川口、4番が藤原、5番が大村――で上位打線を予定するしかないか」

 

「問題というか課題は守備ですね」

 

息吹、白菊は正直いって大学野球で即戦力の守備力とはお世辞にも言えない。

しかし投手力が弱いので、打力優先のオーダーにせざるを得ないチーム事情である。

守備力の高い準レギュラークラスの打撃レベルアップよりも、現時点でも打力が高い息吹と白菊の守備を鍛えた方が総合的に期待値が高いと目論んだのだ。

 

「川口はセカンドとレフト。大村は藤原とDH併用にするが、ライトかファーストも守れるようにする」

 

「来年の春までに徹底的に守備を鍛えます」

 

この5日間で地獄の守備特訓が待っているとは、この時の息吹と白菊は知る由もなかった。

◆Chapter05:プロ注だったライバルの今

初日の練習を終え、息吹と白菊は疲労困憊だ。

今は食堂で夕飯の時間である。

同席している怜が言った。

 

「2軍以下は同学年同テーブルが原則だ」

 

息吹は食堂内を見回す。

ちなみに息吹のテーブルには、白菊の他に怜、理沙がいる。

 

「あの怜先輩。小陽先輩はどうしたんですか?」

 

「小陽はよく監督コーチ達と一緒に食べる」

 

理沙が言い添えた。

「姫宮時代も怜とは違う方向性で選手をまとめていたというし、怜がいなければ小陽が主将だったと思うわ」

 

「というか、私よりも小陽の方が適任だ」

 

「それはMVPの実績と知名度、そして息吹ちゃんに対する監督のサービスね」

 

「ちょっと白菊。仕組まれた運命だったじゃない」

 

「それだけ息吹さんが期待されているって事で」

 

そんな中。

明らかに年長の学生が4人、息吹たちに声をかけてきた。

 

「岡田、藤原。その2人が期待の新レギュラーか? 監督とコーチ達が絶賛してたぞ」

 

「主将、どうも」と、怜が畏まる。

 

「いや、私は引退でもう主将はあんただし。ってか、気を遣い過ぎだっての。もっと堂々としろMVP。とっくにウチはお前のチームだ。誰もが認めている」

 

理沙が小さく会釈。

「明日のドラフト、よい結果を願っています」

 

ドラフト候補の4人だが、2人は上位での指名確実で残り2名は育成枠か指名漏れの可能性がある微妙な立ち位置。

明日のドラフト時には、この食堂でTV中継と記者会見が行われる。

 

3位以上の指名が確実視されている清田が言った。

視線は大型ビジョンに向いている。

 

「高校3年の時のリベンジ、叶えてみせるよ」

 

プロ野球ポストシーズン、最終ステージが放送中だ。

勝った方が日本シリーズに進出という大一番。

 

北海道日清ハムファイヤーズと福岡ハードバンクホークスの一戦。

 

『さあ、打席には4番の中田』

 

梁幽館の後輩を、清田は羨望の目で見つめている。

中田奈緒、2年前にドラフト1位で北海道日清ハムファイヤーズに入団。

白菊が呑気に言った。

 

「高卒1年目で2軍の本塁打王。2年目の今シーズン、後半戦から1軍定着してついに4番就任。期待通りの成長と活躍です」

 

後半戦だけで打率2割5分1厘、13本塁打、62打点。

OPS.910。

来シーズンは間違いなく不動のクリーンナップだ。

 

息吹は思い出す。中田奈緒が詠深から打ったホームランを。

ドラフト2位で同チームに入団した陽 秋月も7月上旬から1軍定着しており、こちらは代打がメインで打率3割2分をマーク。シーズン最終戦ではプロ初アーチも放った。

 

『見逃し三振、速い、中田は手が出ない!』

 

唸る剛速球がインハイに炸裂し、スリーアウト。

ミットから響く轟音がTV画面越しでも凄い。

奈緒は悔しそうに天を仰ぐ。

 

『これで奪三振は二桁の10。この回もゼロに抑えました』

 

この試合、被安打3で綺麗なゼロ行進だ。

平均球速NPBナンバーワンの剛腕ピッチャー。

 

若きエース、松岡凛音。

 

去年のドラフト1位。

高校時代よりも球速を上げてオープン戦から好投を続ける。ルーキーイヤーなのに開幕ローテーションを獲得し、そのまま常勝鷹軍団の若きエースと呼ばれる様に。

レギュラーシーズン17勝4敗。防御率1.21、WHIP0.77、QS率8割9分、奪三振率11.5。

最多勝以外の部門を総なめしており、新人王どころかリーグMVPを確実視されている。今や間違いなくNPBを代表するピッチャーの1人にまで知名度を上げた。メジャーのスカウトと海外のマスコミも注目する1年目の活躍だった。

 

同じ高卒ドラフト1位、マリンスターズの園川 萌が2軍戦で苦しんでいるのとは対照的だ。2軍で2勝8敗。防御率4点台、QSはゼロ。ノックアウト降板が5つ。三振だけは取れている。来シーズンは先発枠から外れて、中継ぎや抑えを試すプランも出てきていた。

 

ドラフト3位でドラゴンレイズに入団した朝倉 智景の方が通用していた。朝倉は1軍に中継ぎでデビュー済み。9試合登板だ。2軍で5勝2敗4ホールド7セーブ、防御率3.53とまずまずの数字を残していた。来シーズンは開幕から中継ぎで1軍定着が見込まれている。

 

「松岡はモノが違っていたな」

 

怜が懐かしんだ。

理沙も同意する。

 

「希ちゃんと光くらいしか、松岡さんのフォーシームはまともに打てなかったわね」

 

最終回、裏の攻撃はハードバンク。

ツーアウトランナー2塁。

打者は3番センター。

 

別のテーブルから悲観の声が。

「あー、ここでギータかぁ」

「なんとかグラシアルに繋いでくれれば」

「もう四球狙いでいいよ、今のギータだと」

「ギータ、最近は調子落としているし、ちょっと期待できないわね」

「ポストシーズン、ホームラン0だし」

「打率も2割4分なんだよな、ポストシーズン」

「1年目だし、ギータ疲労のピークっぽいな」

 

ギータとは登録名でなくファンの間に定着しているニックネームである。

プロ入り初ヒットが初ホームランでヒロインインタビューに上がった時、「フルスイングだけでなく小技も得意ですので注目してください」とアピールしたのだが、翌日にイージーな送りバントを盛大に失敗した。

それがSNSでトレンド入りし「犠打失敗」が転じて「ギータ」になったのだ。

 

『スリーワン。バッティングカウントです川原」

 

川原 光。新越谷高校卒のルーキー。

8球団から調査書は届いていた(ゆえにプロ志望届けは出していた)ものの支配下枠ではなく育成枠で指名だろうと報道されていたが、ハードバンクが6位で川原を指名。

5月下旬に1軍昇格。6月中旬には3番打者に定着していた。

ほとんどの識者が予想外のルーキーイヤーでの活躍。1軍昇格まで3年はかかるという予想が大半だった中、早期でのプロにアジャスト&覚醒である。打撃スタイルの持ち味を変更する事なく、完全にプロ仕様の打者に改造を終えた。

なお、開幕まで投手との二刀流を試していたが、結局は打者一本に絞る事になった。

 

レギュラーシーズン1軍118試合スタメン出場。

打率2割7分3厘。23本塁打。74打点。

OPS.879。

 

プロの打者としては、中田奈緒が打点を稼ぐホームラン打者ならば、川原 光はホームランも打てる中距離打者という区分になるだろう。

 

希がハードバンクに固執する理由は九州出身というだけではなく「また光と同じチームで」というのが大きい。特に光が3番打者に定着して以降、希の目は完全にプロの世界に向いていた。高校野球は眼中から外れていたと息吹は思う。球団側も「翌年に中村 希を釣り上げる為の布石で川原を6位指名したが、まさかの成長と早期覚醒だった」とカミングアウトだ。

 

『打ったぁ、入った、サヨナラホームラン!』

 

あれが入るのか、と清田が苦笑する。

「出たよ、ギータの変態ホームラン」

 

『不調の川原、待望のポストシーズン第1号が出ました』

 

変態ホームラン、が今や光の代名詞だ。

ニックネームの方はともかく「変態ホームラン」は本人的に不本意らしい。

確信歩きも随分と様になっている。

 

「木製バットになって高校時代よりも格段に飛距離が伸びたわね、光」

 

「ああ。あれだけ泳がされても軸がブレずにフルスイングして、しかもあの当たりと角度でホームランだからな。まさに変態ホームランだよ」

 

「今ごろ希は大興奮ですよ、間違いなく」

 

「希さんのSNSさっそく光先輩の変態ホームランがアップされています」

 

ヒロインインタビューでお立ち台に呼ばれた両名。

投打の主役が仲良くファンの声援に応える。

プライベートでも親しい凛音と光だ。

 

「希さんのSNSが更新されました。調子の乗るな松岡、光先輩から離れろ、と悪口を書いていますが」

 

「自分の立場、分かっていないわよね希」

 

凛音は希が入団予定のチームの先輩にしてエースである。

その投稿のリツイートと引用リツイートがあっという間に1万を超えて、さらに伸びていく。批判的なコメントも次々と。1位指名確約のドラフト候補&高校野球界の天才打者として、希の注目度は現時点でも高い。トレンドのトップにきており、普通に炎上しそうだ。

理沙が困惑し始める。

 

「松岡さんのファンから、博多の狂犬はハドバンに来るな、とか、天才だからって生意気なんだよクソ野郎、とか、お前なんてホークスに要らない、氏ね勘違い野郎とか批判コメントされて希ちゃん、逆切れコメント返ししているわ。リツイート、5万を超えたし」

 

怜が呆れた。

「アイツ、明日のドラフト以降SNS禁止にした方がいいな」

◆Chapter06:ドラフト会議

大勢の記者とTVカメラに囲まれて、中村 希は緊張していた。

頭上には大きなくす玉。

監督の藤井 杏夏が隣に座る。

 

それを新越谷野球部の面々が遠くから見守る。

胴上げと記念撮影要員だ。胴上げに使う緩衝用マットも用意していた。

 

「凄い景色だなぁ。去年、光先輩の時は「指名漏れだったら恥ずかしい」って、記者会見用意してなかったんだよな」

 

稜の言葉に菫が苦笑する。

 

「そうそう。予想外の支配下6位指名で、慌てて記者会見がセッティングされたのも今では良い思い出よね。部員を招集したけど人数不足で胴上げできなかったし」

 

「しかも1年後の活躍なんて誰も予想できなかったよなぁ。ぶっちゃけ私、数年は2軍暮らしだとばかり思っていた。なのに今やハドバンの3番打者だぜ?」

 

「希が凄すぎてあまり実感できなかったけれど、今思うと光先輩のバッティングも随所でヤバかったわ。それにプロ向きの打撃スタイルだったし」

 

「流石に怜先輩と理沙先輩のバッティングよりは格上だって、私は光先輩が入部してすぐに気が付いたぜ。フリーバッティングだけでも、希とは別方向で凄かったもんな」

 

「確かにスイングが私達とは違っていたわね」

 

「オフになったら光先輩にも会えるだろうから、一緒にサイン入りグッズを貰おうぜ。将来、金に困った時にネットオークションで高値で売れるかもしれない。ついでに松岡のサインも欲しいな。いやいや、いっそのこと光先輩のコネでハドバンの有名どころ全員――」

 

「アンタねぇ」と、菫は稜の頬を抓る。

「いくら光先輩が優しいからって図に乗るのは止めなさい」

 

詠深が言った。

 

「ウチから2年連続でプロ選手が誕生とは、これは来年の新入生が更に爆増かな。遠征用のバスも2台じゃ足りなくなるかも」

 

「1年目の秋大会以降、見事に世間は掌を返したわよね、私たちに対して。2年目からは不祥事の不の字も出なくなったのには笑ったわよ。ヨミほどじゃないけど、私も内心では見返したいって思っていたから」

 

「菫、お前って地味に根にもってたのな」

 

「頑張った甲斐があったよ、皆に応援して貰えるようになって」

 

嬉しそうに微笑む詠深を、珠姫は複雑な顔で見ていた。

 

「どったの? タマちゃん」

「ううん、何でもない」

 

約4年前に起こった不祥事により新越谷野球部の評判は地に落ちた。それを3年前、詠深たち8人の新入生(当時)が立て直し、世間の悪評を拭い、さらには名門復活の礎となった。

後に、この世代は埼玉高校野球史において「新生・新越谷第一世代」「伝説の8人」と語り継がれる。

 

「なーなー芳乃。光先輩と松岡はルーキーイヤーから1軍レギュラーゲットできたけど、希はどうなると思っている?」

 

「ハドバンは1番と2番打者が割と流動的だから、春のキャンプでプロにアジャストできれば、希ちゃんなら開幕レギュラーも充分にあり得るチーム事情だと思う。今シーズンも打順ガッチリ固定は3番の光先輩と4番のグラシアルだけだったし」

 

芳乃は考えながら、開幕先発オーダーを予想した。

 

「1番は三森選手が最有力、次点で周東選手かな。2番が希ちゃんと野村選手の争い。3番が光先輩。4番がグラシアル。5番は新外国人の助っ人だと予想。6番は松田選手と牧原選手の争い。7番は上林選手、8番は今宮選手。2番が希ちゃんなら7番と8番に野村選手が回るかも。ラストバッターの正捕手は来シーズンも甲斐選手で決まり、だと思うよ」

 

「ほぅほぅ。開幕投手は?」

 

「松岡さんか千賀投手か、ちょっと私にも判断がつかないかな?」

 

「でも千賀はメジャー移籍も噂されているよな」

 

「海外FA取得が近いからね。でもハドバンはホスティングでのメジャー移籍は否定的だし、なにより日本から世界一の球団をってコンセプトのチームだからね。光先輩もホークスに骨を埋める覚悟って言っていたし」

 

「希もメジャーを目指すってタイプの打者じゃないよな。あっちでファン受けするホームランバッターじゃないし」

 

そうこう会話している内に、ドラフト1巡目指名が順調に終わる。

大方の予想通りの結果だ。

ハードバンクの1位指名および交渉権の獲得が決定し、くす玉が割れた。

 

それとタイミングを合わせて、校舎の正面には「中村 希選手、福岡ハードバンクホークス1位指名おめでとう!」の垂れ幕が降ろされている。

 

球団職員のみならず、サプライズで球団社長が駆けつけていた。

真新しい背番号7のユニフォームに希が袖を通す。球団キャップを被って記念撮影だ。カメラマンの注文に応じて希がポーズをとる。

色紙に描いた目標は「開幕レギュラーと打率3割」。

 

記者団からの質問が一通り終わった後、待ってましたとばかりに記者の1人が悪意ある言葉を投げかけてきた。

 

「ヤホーニュースにも上がった「松岡投手を誹謗中傷したツイートが炎上した件」について、中村選手はどうお考えでしょうか? リツイート、21万を超えていて、コメントもほぼ批判一色ですけれど」

 

ぐぬぬ、と希が悔しそうに歯ぎしりした。ちょっと涙目になっている。

どう見ても反省の色は皆無だ。

慌てて球団社長が希をフォローする。というか、実質的にそのために来ていたのだ。

 

「球団広報としては問題視しておりません。当の松岡が意に介していないですし、2人は高校時代に対戦した時の知り合いでもあります。そういった辺りは球団公式YouTubeチャンネルに動画をアップしますので是非ともご覧ください。松岡は中村選手の入団を快く歓迎しています! ファンの方々もその辺にご理解をお願いしたします」

 

「私は悪くなかろーもん」

 

仏頂面の希。

会見前に理事長から強烈な説教を食らった事を根に持っていた。「プロ野球選手として自覚をもった言動を心掛けなさい」と約30分も叱られたのだ。

素晴らしい反射速度で藤井教諭が、「ぅおっとぉッ」と希の口を物理的に塞ぐ。

 

「こ、こ、この子はマスコミの皆さんがご存じの通りに、ちょっと不器用で口下手なところが、その、悪気はないですよ、今だって「悪気はなかったもーん」と言いましたし! それから野球以外の質問はNGで!」

 

2年生と1年生の部員たちがコソコソと言い合う。

ちなみに1軍メンバーはもうすぐ始まる秋季関東大会の準備でこの場にはいない。揃っているのは2軍メンバーのみである。

「中村先輩、性格アレだしねぇ」

「3年同士の会話ですら、中村先輩って芳乃キャプテンとの会話がほとんどだったよ」

「色々と誤解されてるよね、希先輩って」

「実は私、中村先輩とまともに会話したコトない」

「安心しろ、ソレ3年以外ほとんどだから」

「他の3年はめっちゃ気さくなんだけどね。特に稜先輩とかヨミちゃん先輩とか」

「芳乃キャプテンがフリーだと芳乃キャプテンにベッタリだったけど、それ以外は基本的に部活中はボッチだったよね、中村先輩」

「信じられないけど、野球部以外だとかなり友達多いんだよ、あの人」

「あの人は天才すぎて、野球やってると心の壁が、ね」

「白菊先輩がホームラン打った後に、後ろから本気の蹴りは入れていたけれど、あれって数少ない中村先輩からのコミュニケーションだった」

「1年は知らないだろうけど、去年は光先輩がいたからまだマシだった」

「光先輩ってハドバンのギータ?」

「そそ、そのギータだよ。で、同じ先輩のキャプテンと理沙先輩でも中村先輩には強く出られなくて。そんだけの天才だし、あの人」

「懐いていたギータ先輩いなくなって、中村先輩ほとんど個人練習ばかりになったってのは、ヨミちゃん先輩とかから聞いてます。それでも問題なしの実力だったけど」

「中村先輩にとって去年の夏の全国で高校野球は終わっていたと思う」

「あーー、またキャプテンと野球したいから、私も皇京大を目指そうかな」

「私も皇京大、一般入部でいいから目指すか」

「大学だったら高校と違ってキャプテン達と2年近く一緒にやれるんだよね」

「2年の先輩たちにとってのキャプテンって、やっぱり岡田って人なんですね」

「うん、芳乃キャプテンは名目はキャプテンだけど、昔っから真の監督だしね。私達2年にとってはキャプテンって感じじゃないかな」

「うちら2年生世代までは、キャプテン=岡田 怜なんだよ」

 

最後に胴上げの段になって、遠巻きから観ていた後輩たちが芳乃に呼ばれた。

なお、希は目標であった開幕レギュラーをゲットする事になる。プロ入り1年目から打率3割4分8厘(リーグ2位)をマークするものの、惜しくも新人王を逃したのは別の話――

◆EXTRA:YouTuber中田奈緒 その1

プロ野球シーズンオフ某月某日。

時刻は19時。

場所は埼玉県某所にある高級料亭。

 

松井遥菜は中田奈緒の呼び出しに応じて、とある飲み会に参加していた。

否、飲み会ではなく食事がメインの親睦会だ。そもそも飲酒可能な二十歳になっている者が2年前のドラフト組しかいないのだから。

 

参加メンバーは「2年前のドラフト以降にプロ入りした埼玉出身の野球選手」のみで構成されている。その名称は「中田会」との事だ。

遥菜は参加に気が乗らなかったが、母校である咲桜高校の先輩かつ同じライオンズ所属のプロ選手、田辺由比も出席しているので、無下に断るわけにもいかなかったのだ。

むろん費用は全て奈緒が負担する。他の者は1円も出さなくて良い。

 

高級料亭の一画が丸々貸し切りになっていた。

 

「遅いぞ、松井」と母校の先輩である由比が、軽く遥菜を叱る。

どうやら自分が一番最後だった模様だ。

 

「これで全員が揃ったな」と、奈緒はご満悦である。

 

この「中田会」に新加入したのは、今年は4名だ。ライオンズ1位指名の遥菜(咲桜出身)、マリンスターズ1位指名の諸積(美園学院出身)、ホークス1位指名の中村希(新越谷出身)、マリンスターズ7位指名の愛甲(美園学院出身)である。

 

遥菜は殊勝に頭を下げ、下座に腰を落ち着けた。

(必要な付き合いとはイえ、面倒だナ)

 

上座からザッと面子を見回すと――

 

2年前にプロ入り組

中田奈緒(梁幽館):ファイヤーズ1位指名

1軍(4番打者)

推定年俸1500万円⇒今季2000万円⇒来季4000万円

 

陽 秋月(梁幽館):ファイヤーズ2位指名

1軍(来シーズンはレギュラー獲りに挑む)

推定年俸1000万円⇒今季1200万円()⇒来季1950万円

 

田辺由比(咲桜):ライオンズ3位指名

2軍(内野手、1軍登録・出場あり)

推定年俸800万円⇒今季800万円⇒来季900万円

 

久保田依子(熊谷実業):ホークス5位指名

2軍(外野手、1軍登録なし)

推定年俸600万円⇒今季650万円⇒来季520万円

 

1年前にプロ入り組

園川 萌(美園学院):マリンスターズ1位指名

2軍(投手、1軍登録なし)

推定年俸1500万円⇒来季1200万円

 

松岡凛音(深谷東方):ホークス1位指名

1軍(先発ローテ2番手、エース)

推定年俸1400万円()⇒来季5500万円(複数タイトル料込)

 

朝倉智景(柳大川越):ドラゴンレイズ3位指名

1軍登板9試合(中継ぎ)

推定年俸700万円⇒来季1050万円

 

川原 光(新越谷):ホークス6位指名

1軍(3番打者)

推定年俸400万円()⇒来季2500万円(日本一ボーナス込)

 

小林依織(梁幽館):シャイアンズ7位指名

2軍(捕手、1軍登録なし=3年間のファーム育成計画)

推定年俸500万円⇒来季820万円

)凛音と光、陽はほぼフルシーズン1軍登録だった為、1軍最低保証年俸として契約年俸ではなく無条件に1600万円が支払われる

 

大卒プロはいない。

奈緒と同学年の大卒組(埼玉の高校卒)が、この「中田会」とやらに加盟するのかは、遥菜にとって知るところではないというか、興味もなかった。

来年のドラフトで埼玉県の高校から指名されそうな有望株は現時点でゼロらしいので、来年の今頃もこの集まりの面子は変っていないだろう。どうでもいいが。どうせオフの限られた時しかこの埼玉では集まれない。

奈緒が音頭をとる。

 

「では全員揃ったところで、乾杯!」

 

楽しい食事が始まった。

ドラフト1位契約とはいえ、現時点では高校生に過ぎない遥菜にとって、こんな高級料亭での食事は非日常的であった。この一晩で200~300万円は軽く飛びそうだ。

(確かスタンダートに契約金1億円+出来高5000万円、って公表していたガ、中田奈緒の契約金は本当は何億だったんダ?)

通例にならった金額(ドラフト1位は1億円+出来高MAX5000万円)とは違い、遥菜は「ピー」億円を5年間月割で支払ってもらう契約(守秘義務あり)だが、奈緒も通例以上に相当な額を貰っていなければ、ここまで羽振り良くできないだろう。

4番を手に入れた今季のオフ、個別スポンサーとの契約やTV出演料を得ているが、それにしたって、まだ大した金額にはなっていない筈。

 

高級料理に舌鼓を打ち、遥菜は満足だ。

(120点だナ)

タダ飯というところが特に素晴らしい。

 

「――さて、ここで皆に発表がある」

 

会食が始まり30分ほど経過したところで、奈緒がそんな事を切り出した。

 

「新加入した3期生で計13人になった機会に、この「中田会」という集まりをリニューアルしようと思うんだ」

 

勝手にしてクれ、と遥菜は思った。

単に高級なタダ飯が食えるだけの付き合いだ。

 

「ここにいる全員でYouTuberグループを結成する」

 

え? 遥菜は耳を疑った。

何を言っているのだろうか?

場の空気が凍り付く。

(冗談だロ?)と遥菜は奈緒を見つめるが、残念ながら「冗談だ」という台詞は続いて出てこなかった。真顔のままだ。奈緒の高校の後輩である依織が質問する。

 

「な、奈緒さん、理由を教えて下さい」

 

「シーズン終わった直後に陽と話し合って決めたんだが、松岡と川原が1年目からレギュラー獲って、陽も1軍定着、私も4番の座を手に入れた。これは知名度的にYouTubeを始めるのには最高のタイミングだと判断した」

 

皆の視線が陽に集まる。

陽はスマホでプロスピに夢中になっていた。というか、遥菜が来てから一言も喋っていない気がする。ずっとスマホを弄っていた。なんなんだよコイツは。

依織が言う。

 

「あの、奈緒さんと陽さんの2人組YouTuberではダメなのでしょうか? 私達は必要に応じてゲスト出演するというカタチで。陽さんはどう思います?」

 

陽はスマホ画面から視線を動かさない。

プロスピに夢中だ。

 

「シーズンオフなら私と陽だけで定期的な動画アップは可能だろうが、シーズンに入ると2人だけでは無理がある。ネタも続かないだろう。だが、ここにいる皆がそれぞれの所属球団ごとにローテーションして動画を投稿すれば、ネタ切れもしないだろうし、無理なくチャンネル運営をしていけると考えた」

 

由比が言った。

「でも中田。撮影は自分達でどうにかなるけど、編集はどうするのよ? 正直いって編集作業はかなり時間を食うし面倒だよ。同じ球団の私と松井ならば、松井にやらせれば済むけど、他の球団の面子はそうはいかないでしょ?」

 

(おい、なんデ私が動画編集を押し付けられるンだ?)

遥菜は思った。体育会系の上下関係はクソだ、と。

 

「心配するな、田辺。各球団のチームごと撮影した動画データをチャンネル運営会社に送ってくれれば良い。編集以外にもコンサルもやってくれる。そしてその会社とはもう既に契約済みだ」

 

奈緒が合図を送ると、撮影スタッフが5名ほど姿を見せた。

そして死角に設置してあったカメラを取り出す。

(隠し撮りじゃないカ)と、遥菜は呆れた。

他の面子も隠し撮りされていた事に憤慨とまではいかなくても、やや引き気味である。

奈緒を慕っている依織は愕然となっていた。

 

隠し撮りの必要がなくなったのか、照明とレフ板が堂々と設置された。

この時点で遥菜は帰りたくて仕方なくなっていた。来た事を後悔している。

 

奈緒が言った。

「では皆に確認する。私の意見に反対、YouTube活動をしたくない者は挙手してくれ」

 

誰も手を挙げられなかった。

遥菜は思った。体育会系の上下関係はクソだ、と。

 

「よし。それならば是非ともYouTuberグループの一員になりたいと希望する者は、挙手してくれ。決して強制ではないからな」

 

陽がスッと手を挙げた。視線はスマホに固定されたままだが。

諸積が「面白そう」と笑顔で挙手。愛甲も「やってもいいかな」と抵抗なく続く。

問題は他の面子だ。

 

(田辺先輩! 久保田! 頼む断ってクれ!)

そしてこの馬鹿げた思惑を潰して欲しい。

だが、遥菜の願いも虚しく由比と依子は「仕方ないか」と苦笑しつつ、挙手した。

 

こうなると後輩に拒否の選択肢はない。

萌、智景、凛音、光、希、依織の順で手が挙げられていった。全員、俯き加減でどう見てもやりたくなさそうだ。「なんで、どうしてこんな事に」と希が小さく呟いた。

最後に残された遥菜も観念して挙手する。

遥菜は思った。体育会系の上下関係はクソだ、と。

 

――続く。

◆EXTRA:YouTuber中田奈緒 その2

なし崩し的に中田奈緒のYouTubeチャンネルに参加する羽目になった遥菜。

ルーキーイヤーを迎えるにあたり野球に集中したいのに、どうしてこうなった。

奈緒は満足げに言った。

 

「それではお待ちかねの、チャンネル名の発表だ」

 

(少なくクても私は待ってねーヨ)

 

「ポストシーズン後に、もっとも頭を悩ませた命題といっても過言ではない」

 

(野球の事で悩メよ。お前、最後の試合4番のくせに4タコだっタろ)

 

「じゃあ、発表しよう」

 

(いいかラ勿体つけるナよ。イライラするゾ)

 

「、、「なかったから作ったよチャンネル」――だ」

 

「くそダサなチャンネル名だナ、35点」

 

つい心の声を発音してしまった。

遥菜は言ってしまってから、しまった! と後悔して焦る。

(誰か、助け船ヲ出してくレ!)

 

場の温度が体感で氷点下にまで下がってしまったが、依織がフォローに回ってくれた。

 

「あの、奈緒さん。SEO的な観点からチャンネル名には中田奈緒の文字を入れる方が、長期的な視聴者流入を考えれば有用かと思います」

 

「SEOって何だ? OPSみたいなものか?」

 

(この女、やっぱり野球を取り除くとバカの部類だっタな)

 

依織は沈痛な面持ちで視線を落とした。

しかし遥菜は胸を撫でおろす。上手く話題の焦点が逸れてくれた。

 

「SEOってあれだろ。ほら、プロレス技みたいなものだ、きっと」

 

それはおそらくSTOだ。

依子の発言に(こいつもバカだったカ)と、遥菜は冷ややかな目を向ける。

ちなみに依子はかなり酔いが回っていた。

(しかも頭の出来だけではナく酒にも弱いシ)

 

萌が言った。

「SEOとは検索エンジン最適化の事です」

 

由比が感心する。

「聞いた事があるわ。でも、検索エンジンならどうしてKEじゃなくて、SEなのかしら? ITだからSE? ねえ松井、教えてくれない?」

 

(そうイえば田辺先輩も、見た目に反して勉強ダメだっタんだっケ)

見た目が激似の某レールガンは成績優秀だった筈。

「サーチエンジンの略でSEで、ITのSEはシステムエンジニアの略でス」

 

「松井、お前インテリだな。お前の学力なら高卒で就職じゃなくて、大学進学して外資系企業を狙った方がいいんじゃないか?」

 

酔いが回っている依子が締まりのない笑顔で褒めた。

そういった観点で言うのならばここにいる全員が高卒ブルーカラーだろ、というかプロ野球選手だから個人事業主だ、と遥菜は心の中でツッコミを入れた。

依織が奈緒に再び言った。

 

「確かに奈緒さんの知名度ならば検索流入を度外視して、いきなりブラウジングや関連動画からの視聴者を集められるでしょう」

 

「依織、済まないが野球以外の専門用語は苦手なんだ。そもそもYouTubeなのに、どうしてブラッシングとか出てくるんだ?」

 

「ええと、その、簡単にかみ砕いて説明しますと視聴者に分かりやすいチャンネル名が良いという話なんですよ」

 

「そうか、お前は気が付いていなかったのか。なかった、と中田を掛けているんだ」

 

「そこはちゃんと気が付いていました」

 

「本当か? お前はどうだ、松岡」

 

「え? 私に振る? あ、気が付いていませんでした! 流石は中田さんです、頭が良い」

 

悲しいほどの愛想笑いで凛音はヨイショした。

 

依織が真剣に言った。

「奈緒さん。私は「中田奈緒の埼玉魂」が良いと思います。分かりやすいですし、埼玉出身校の現役プロ野球選手チャンネルだと覚えてもらえるでしょう」

 

萌が賛同する。

「確かに良いチャンネル名ね。小林ちゃんは正しい」

 

他の昨年度ドラフト組も揃って依織案を押した。

それでチャンネル名は「中田奈緒の埼玉魂」に決定する。

 

「チャンネル名も決まったところで、メンバーは自己紹介をやり直すから、各自に用意してある原稿に目を通してくれ」

 

光が言った。

「自己紹介文ですが、名前以外は目の前に置かれている料理の材料の生産元の紹介ばかりなんですけれど。それから私の名前は川原光でギータはニックネームです。一言目の皆さんお馴染みギータです、から以降ずっとお肉の宣伝じゃないですか」

 

智景も言う。

「私は料理が盛られている陶磁器ブランドの紹介」

 

奈緒は丁寧に説明する。

「この動画を視聴している人は基本的にギータと朝倉は知っているんだ。でもスポンサーの商品はあまり知らないから、そちらを重点的に紹介するのは当たり前だろう? ちなみに肉の方は紹介料250万円、陶磁器は180万円だから、心を込めて台詞を読んでくれ」

 

誰もが無言になった。

 

遥菜の自己紹介は「ライオンズのドラ1、松井遥菜です。そしてこの本マグロは――」と、目の前に鎮座している海産物のアピールに終始している。

 

まずはスポンサーパートを収録だ。

「大事な箇所だから、リハーサルをしてから本番にいくぞ」

 

奈緒はそう言うと美味しそうにジョッキでビールを一気飲み。

豪快に飲み干した空ジョッキをテーブルに「どん」と置く。

ジョッキの隣には先ほど中身を注いで空になっているビール瓶がある。ブランドアピールの為にあえてテーブルに残してあるのだ。

 

「ぷはァー。やっぱりビールはサッポロに限る!」

 

(ここは埼玉だゾ)

遥菜は心の中でツッコミを入れた。

 

真顔に戻った奈緒は、皆に確認する。

 

「どうだ? 美味しそうに飲めていたか? 球団側に許可をとってのサッポロビールとの提携だ。400万円も提供してもらっているだけに、魂を込めてアピールしないとな」

 

先ほどから金の話ばかりだ。

 

諸積が言った。

「もっと意図的にゴキュゴキュって喉を鳴らした方がいいですよ」

 

「なるほど。お前は早くも「野球およびYouTube」のプロとしての自覚が芽生えている様だな。参考にする。これでどうだ?」

 

テイク2でまた一気飲みを披露する奈緒。

希がおずおずと言う。

 

「あ、あの。本番前にあまり飲み過ぎると」

 

皆の視線が依子に向く。

依子は現時点でかなり出来上がっていた。

これ、収録は大丈夫なのか?

 

「問題ない。ビール瓶の中身はアサヒのノンアルに差し替えてあるからな。後でアピールする予定の日本酒も中身は水に差し替え済みだ」

 

「え? アサヒ?」と、希は目を丸くする。

隣の光は複雑な表情で首を横に振った。

 

(ヤラセじゃねーかヨ)

コイツ、素ではこんな性格してやがったのか、と遥菜にとっての奈緒への尊敬の念は限りなくゼロに近づいていた。

 

スポンサーパートの撮影が終わり、次は終了画面の撮影になった。

そして座談会前半⇒サムネイル撮影⇒座談会後半というスケジュールだ。

 

「視聴者プレゼントを企画しているから、申し訳ないが、この撮影は全員ではなくすでに1軍で結果を出して知名度がある4名でいく。済まないな、田辺、久保田」

 

奈緒はそう謝罪した――が(いや、久保田の撮影はもう無理ダろ)と遥菜は心の中でツッコミを入れた。どう見ても飲み過ぎだ。

 

左から順に凛音、光、奈緒、陽と並ぶ。

 

「台詞は全て私が担当する。皆はアドリブで笑顔を作り手を振ったりしてくれ。最後に私に合わせて右拳をカメラに向かって出すんだぞ。ホームランを打った後、ベンチ担当のカメラマンに対してカメラ目線でやるポーズの要領だ」

 

(そういえば中田のホームランポーズは、どことなくダサかったナ)

来シーズンは別のポーズにする方がいいだろう、と遥菜は心の中で注文を付けた。

 

テイク1、スタート。

 

「最後まで動画を観てくれてありがとう! この動画が面白かったら、チャンネル登録およびグッドボタンをよろしくお願いします。それから動画公開後2ヵ月に抽選をおこない視聴者プレゼントを企画しているぞ。希望者はコメント欄から応募してくれ」

 

そこで一息入れて――

 

「まずは私のプロ第1号ホームランのサインボール、サインバットをそれぞれ1名様にプレゼントだ」

 

(1個ずつしか存在していないンだかラ、各1名様は当たり前ダろ)

 

「次は、陽のプロ第1号ホームランのサインボール、そしてサインバットもそれぞれ1名様にプレゼントするぞ。どしどし応募してくれ」

 

光と凛音が右拳をカメラに突き出す準備に入る。

 

「そして私達だけではなく、なんとギータのプロ第1号ホームランのサインボール、サイン入りバットをプレゼントだ!」

 

「えぇッ!?」と、驚く光。

 

はい、カァ~~ト!、とカメラが止まる。

 

「どうした川原、真面目にやってくれ」

 

「あ、いえ、私のサイン入りボールとバットの件は初耳だったので」

 

「それはそうだろう。今初めて言ったからな」

 

「あ。そうですか。次、気を付けます」

 

「松岡も分かっているな?」

 

「はい! 私はプロ初勝利のウイニングボールですよね?」

 

「ちゃんと分かっているじゃないか。お前たち2人は私の自慢の後輩だけある」

 

「ありがとうございます」と光。

「はい、頑張ります!」と凛音。

 

(おいおい中田のヤツ、出身校も所属球団も違うノに、強引に後輩に加えやがったゾ! というか、後輩という名の舎弟じゃないカ)

自分はそうはいかない、と遥菜は警戒した。

 

そしてテイク2に入る。

 

今度は光も失敗しない。

自分のサイン入りボール、サイン入りバットの台詞の時に、光は可愛らしい笑顔を作り、キュートに両手を振ってみせた。そんな光を遥菜は憐憫の目で眺める。

 

「最後の視聴者プレゼントは、NPBの若きエース松岡凛音の、プロ初勝利のウイニングボールをサイン入りでだ!」

 

そこでふと奈緒が考えた。

 

「松岡だけ1つしかないな。よし! 日本シリーズ優勝のウイニングボールも松岡のサイン入りでプレゼントしよう」

 

「えぇッ!?」と、驚く凛音。

 

はい、カァ~~ト!、とカメラが止まる。

 

「どうした松岡、真面目にやってくれ」

 

「いえ、その、日本シリーズの記念ボールはもう寄贈していて、手元にないんです」

 

「そうか。それならば仕方ないな。だが松岡、大事な記念品を安易に他人に譲るのは感心しない。野球ファンだけではなくチャンネル視聴者の事も考えてくれ」

 

「でもYouTubeの件はその時は知らなくて」

 

知らされたのは、つい今し方だ。

 

「失敗は誰にでもある。次から気を付けてくれ」

「はい!!」と、凛音は頭を下げた。

 

(他人の記念品を勝手に視聴者プレゼントにしておいテ、どの口が言うんだヨ)

早くこの場から解放されたい、と遥菜は心から思った。

 

――続く。

◆Chapter07:キャッチボール

希の会見が終わった。

スタッフが撤収に入っている。

これで解散、全て終了ではなく、希はこれから理事長、藤井教諭と共に学校関係者および支援者、後援者への挨拶回りがある。後日にはローカル局のTV出演、埼玉で仮契約だ。それから全ての条件で合意し球団事務所にて本契約した暁には、晴れて正式な球団所属となり選手寮に引っ越しである。

 

要約すると――

①指名後の挨拶と仮契約

②メディカルチェック

③本契約および入団発表

④入寮

⑤新人選手合同自主トレ

⑥各球団の春季キャンプに合流

⑧オープン戦

⑨シーズン開幕

⑩高校の卒業式に出席

 

指名挨拶の時に契約条件はかなり詳細まで踏み込んでいたとの話なので、契約で揉める事はないだろう。金銭的には、恒例に従ってスタンダードに契約金1億円・年俸1500万円で発表する筈だ。希にメジャー志向はないので移籍条項の問題もないだろう。

 

「それじゃあ、先輩方お疲れ様でした!」

 

2軍の後輩たちが詠深たちに頭を下げてグラウンドへ走って行った。

彼女達は練習用ユニフォームで、詠深たちは学校制服だ。

詠深たちも記者会見が行われた部室前(設営されたテントはTVスタッフが片付け。雨天ならば体育館内の予定)を後にした。

 

グラウンドの外周を歩きながら、詠深たちは後輩の練習風景を眺める。

 

この夏までは、確かにあそこが居場所だった。

芳乃の引退を見越し、今年の春先に外部から専門コーチを雇っていた。

そしてマネージャーは2年生が2名に1年生が3名。

人数と活気、熱気が凄い。関東大会目前だ。現役の高校球児たちの姿――

引退した者には眩しく映る。

 

「来年度の新入生は25人までに制限するって、藤井先生が言っていたよ」

 

詠深の言葉に、菫が感慨深く返す。

 

「各学年25名、合計で75名に絞らないと監督1名とコーチ1名じゃ面倒みきれないものね。私達が1年の秋の頃には、芳乃も入れて11人しかいなかったのに」

 

「でもコーチを増やしたら、総勢100までは視野に入れているってさ。それだけの設備はあるし、寄付金が集まって増設も計画しているし」

 

「ウソみたいだよな。もうあのグラウンド、私達の場所じゃないんだぜ」

 

「ホント、こうして眺めると終わったんだな、って実感するわ」

 

稜の言葉に、菫は目を細めた。

 

ふと、掛け声と打球音が止む。

引退した3年生の姿を見つけて、新越谷野球部の部員たちが練習を止めたのだ。そして新キャプテンの指示に合わせて「ありがとうございました!」と3年生たちに向かって深々と頭を下げる。

後輩たちにとっても希のドラフト会議が「3年生の本当の引退」だったのだろう。

 

「もうそこはお前たちの場所で、今はお前たちの時代だ! 関東大会、頑張れよ!」

 

稜に合わせて詠深たちは全員が大きく右手を振った。

これ以上は後輩たちに気を遣わせて、邪魔になる。

グラウンドに背を向けて、校舎から出た。

 

河川敷を歩く。

まだ日は高い。

引退してから「放課後ってこんなに長いんだっけ」と初めて実感した。

それにも慣れつつある。

帰宅して、夕食を終えたら受験勉強だ。模試の合格判定は全員がAなので、そこそこのマイペースで問題ない。

身体が訛らない程度の自主トレは続けているが、後輩たちの邪魔をしたくなかったので学校の施設は使用せず、近場の公営体育館やスポーツジムなどに集まっていた。

 

珠姫が言った。

「去年の先輩達は部活を引退した後、今日の私達みたいにグラウンドを見る度に、どんな気持ちだったのかな」

 

「やっぱ寂しかったんじゃねーの。私も正直、寂しいし」

 

「そうね。私も同じ気持ちよ、稜」

 

詠深は秋空を見上げ、

「息吹ちゃんと白菊ちゃんは切り替え、早かったよね。なんかさ、引退してすぐに怜先輩たちの大学から誘いがきたってのもあったけど、ホント早かった」

 

「――ヨミちゃんにも皇京大からのスカウト、あったよね」

 

珠姫の声音には微かな怒気があった。

 

「ん~~。でも息吹ちゃん白菊ちゃんとは違って、怜先輩から直の誘いはなかったよ。あったら少しは迷ったかなぁ、どうだったかなぁ。にしても嬉しそうだったよね、息吹ちゃん、怜先輩からの直の誘い。電話の後、理沙先輩と2人でわざわざ自宅まで来たって」

 

「はぐらかさないで。他の強豪大学からの誘いだって何校かあった。最高条件の特待生で。そもそもプロ志望届を出していれば、希ちゃんだけじゃなくて、ヨミちゃんだって今頃――」

 

詠深はあっけらかんと言う。

 

「そうだっけ? 忘れちゃった、そんな前の事」

 

「とぼけないで。私は悔しいんだよ、ヨミちゃん。光先輩、希ちゃんがプロなのにヨミちゃんがプロどころか強豪大学にさえ進まないなんて。私の所為で、ヨミちゃんの未来が制限されるなんて、悔しいんだよ」

 

「自惚れるんじゃないわよ、バカ珠姫」

 

菫がピシャリと断じた。

 

「ヨミが珠川大を選んだのは、あんたの為だけじゃない」

 

「そーそー、むしろ私と菫の為の選択だろ。キャプテンだって分かっていて息吹と白菊しか誘わなかった。そして私と菫も分かっている。だから恨みなんてない」

 

「私と稜じゃ、現時点の皇京大に行ってもレギュラーにはなれない、間違いなく。席は空かないでしょう。そして息吹と白菊はレギュラーで活躍できる。たぶん入学してすぐから。だから先輩たちは私と稜どころか、ヨミにも声を掛けなかった」

 

「ま、ヨミならどの強豪大学だって1年からエースだと思うぜ。悪くても先発2番手で控えなんて事はない。でも私と菫は違う。入学先を選ばなきゃ即レギュラーは無理だ」

 

苦笑しつつ明るい声で詠深が言う。

 

「それ言っちゃうかぁ、菫ちゃん、稜ちゃん」

 

珠姫は何も言わなくなる。

そのまま歩く。

表情から険しさがとれない珠姫を見て、それまで黙っていた芳乃が口を開いた。

 

「久しぶりに、ここでキャッチボールでもしようか」

 

そして10分後。

使うボールは、近くのコンビニで調達したオモチャのカラーボールだ。

芳乃の奢りだった。

詠深は嬉しそうに感触を確かめる。

 

「懐かしい。子供の頃、このカラーボールでタマちゃんに魔球を投げたのが、私の野球の始まりだった」

 

珠姫は無言を通す。

キャッチボールが始まる。

まずは詠深から珠姫へ。

不機嫌なまま言葉を発しない珠姫だが、ボールは綺麗にキャッチした。

 

「次は菫ちゃんにね」

 

ボールが菫に渡り、菫は稜に投げ、稜から詠深に戻ってきて一周だ。

芳乃は見ているだけ、と最初に参加を断った。

何周かした後――

 

「私はさ、プロに行くために野球した事なんて、考えてみたら1度もなかったんだよね。仲間と一緒に勝つ事だけを考えていた」

 

ようやく珠姫が反応を示す。

押さえていた不満を爆発させる様に吠える。

 

「でも、ヨミちゃんならプロに行ってスターになって大金持ちになれる!」

 

詠深も気持ちを込めて大声で返した。

 

「プロよりも、タマちゃんと一緒の野球の方が楽しい!」

 

そして鋭い直球が珠姫に向かう。

キャッチして珠姫は訴える。

 

「プロのレベルの高い打者との対戦の方が、今のヨミちゃんには相応しいよ!」

 

「私は、高校最後の夏、菫ちゃんと稜ちゃんの二遊間で投げたかった!」

 

そこへ芳乃が冷たい声で言った。

「私は新越谷野球部を私物にするつもりはないから、それは許さなかったよ」

 

菫が頷く。

「それで良いわ。私も稜も納得している」

 

稜も頷く。

「逆に先輩だからって、実力のある後輩を差し置いてスタメンなんて惨めだしな。そんな贔屓されたら後輩たちに恥ずかしくて退部するしかないぜ」

 

菫の背番号は4から14に。

稜の背番号は6から16に。

思い出し、詠深の声に苦渋が滲んだ。

 

「私も納得はしている。でも心残りだから。このままプロに行ったら絶対に後悔する。プロは私から逃げない。たとえタマちゃんと一緒じゃなくても、プロは4年後にもう1回確実にチャンスが来る。でも、この4人で野球ができるチャンスはこれが本当に最後」

 

「ヨミは珠姫と野球を続ける為だけじゃなく、私と稜と続ける為に「今を」選んだのよ」

 

「言っておくけど、私と菫だって3年になってから最高のお手本が近くにいたお陰で、2年の頃よりもレベルアップはしているんだぜ? 公式戦で披露できなかったけどな」

 

「それは紅白戦や練習の動きで分かっているけど」と、珠姫。

 

「最初は私とタマちゃん、そして息吹ちゃんと芳乃ちゃんの4人で始まった高校野球だったよね。そして息吹ちゃんは自分の道を選び、芳乃ちゃんもスポーツドクターになるっていう新しい目標を定めて、私たちとは違う場所に行く」

 

「大学野球は、ヨミちゃんにとっては回り道かもしれないよ?」

 

「そんな事をまだ言うんだったら、分かった、私、大学野球で完全燃焼して野球を辞める!」

 

パァン! 詠深のストレートが珠姫の左手に吸い込まれた。

カラーボールなので綺麗にホップしていた。

 

絶句する珠姫に、詠深は笑いかける。

 

「タマちゃんは覚えている? 1年秋の咲桜戦。あの時、私は野球終わってもいいって思って投げた。あの時はバカやったと反省している。でも、あの時とは違う意味で大学で野球辞めても良いって、思った」

 

「本気で言っているの、それ」

 

「大学野球で完全燃焼した後、プロっていう続きがあるんだったら、その時に野球続けるかどうか、考えても良いかなって程度。分かった、今から私、ずっと隠していた最低最悪の本音を打ち明けるね」

 

詠深は腹の底から叫ぶ。

 

嫌だったんだよ、3年の夏は!

菫ちゃんと稜ちゃんがレギュラーでなくなって!

最悪だった!

9人ギリギリの頃が一番楽しかったんだ!

なにがレギュラー争いだ!

後輩がレギュラーでムカついた!

ムカついたんだよ!

ハッキリ言って、芳乃ちゃんにも!

後輩たちは私達を慕ってくれたけれど、最低最悪な気持ちだけれど、アイツ等さえいなければ、菫ちゃんと稜ちゃんがレギュラー落ちで控えにならなかったんだ!

こんな結果になるなら、新入生なんて、たくさん入って来なければ良かった!

 

「ホント、最低ね、軽蔑するわ」と菫。

「うわー、最悪だぜ、マジで」と稜

 

「ま、心底から嬉しいけどね」と菫。

「だから私と菫はヨミに付いてくわけ」と稜。

 

「また1年の頃みたいな野球を一緒にやろう、タマちゃん」

 

弱小校から、この4人と新しい仲間で、強豪校をぶっ倒す。

新越谷野球部みたいな名門復活なんて目指さない。王者に、強者に、強豪側になった今の新越谷野球部みたいなチームは、むしろ倒すべき対象だ。

言い方は悪いが、2部リーグでも低迷している今の珠川大学に有力選手が来ることはありえない。プロ入りやノンプロを志す有力選手は他の大学リーグや1部リーグの強豪校を選ぶに決まっている。つまり詠深たち4人が活躍してチームが躍進しても、それは4年間だけの仮初の黄金期であり、新越谷野球部の様に名門になる可能性は、ほぼゼロだ。

それを見越しての、チーム選び。

 

ワクワクした笑顔で、詠深は珠姫を誘う。

 

「まずは首都大学リーグ2部を優勝。そして入れ替え戦に勝って翌年の1部に昇格。その年に1部リーグを優勝。そしたら翌年春のインカレ春季リーグに首都大学リーグ代表で出られる。そこも勝って全国出場権を獲得。そこからいよいよ目標――大学日本一、全国大学野球トーナメントを制覇しよう」

 

今でも忘れられない。

高校1年の夏――梁幽館に勝った時の高揚。

あれは仲間とでなければ味わえない感動。

プロや強豪校では不可能なカタルシス。

 

「またチャレンジャーに戻りたい」

 

この4人で一緒に。

 

「とりあえず今は、それしか頭にないよ。細かい事はどうでもいいんだ。この4人でだったら、公式戦じゃなくて練習試合でも、強豪校にどんどん挑んでいこう。結果は大事じゃないよ。途中で負けてもいい。また私にとってのかけがえのない仲間と強敵に挑む、その事が今の私の野球の全て」

 

再び珠姫でボールが止まり、彼女はボールを見つめていた。

 

その目を見て、芳乃が告げる。

「私がヨミちゃん達をサポートするのは、これで本当に――最後だね。珠姫ちゃんの気持ちが吹っ切れたら、その瞬間に私の新越谷での役割は、終わり」

 

珠姫が芳乃に向け、大きく頷く。

 

「ありがとう、芳乃ちゃん。今から司令塔は私が担当する。このカラーボールは一生の思い出として大切にするね」

 

「そのカラーボールの代わりに、全国制覇できたらそのウイニングボールを贈ってね」

 

珠姫は迷いを吹っ切った笑顔で応えた。

決意は固まっている。

 

「もしもさ、大学野球終わってプロから声がかからなかったら、私はこの4人が中心になって草野球チームを作りたいな。実は草野球チームにも、ちゃんと公式団体とリーグ戦があるんだよ? タマちゃん知っていたかな?」

 

「それくらい知っているよ。うん、ヨミちゃんがプロ引退したら、この4人で草野球チームを作って公式戦に殴り込もう」

 

「まー、私は野球を仕事、職業野球なんて元からゴメンって主義だから草野球、賛成だ」

 

「あんたも私も、プロ云々どころなんてプレイヤーじゃないでしょうに」

 

わいわいと4人の会話が弾む。

そんな中。

芳乃はそっと1人で去った。

お互いに声は掛けない、そんな静かな別離。

明日また、教室では普通に友人として会話する。

だが仲間としては過去の関係だ。

 

詠深たちは未来へ進んでいく。

芳乃という過去を思い出に変えて。

 

「続きをやろうか、ヨミちゃん、菫ちゃん、稜ちゃん。高校2年の夏の全国が終わった後からの、チャレンジャーだった頃の私たちの野球の続きを。先輩達、希ちゃん、息吹ちゃん、白菊ちゃん、そして芳乃ちゃんが居なくなっても、この4人で」

 

日が落ちて暗くなるまで、4人はキャッチボールを続けた。

◆Chapter08:姉と妹

「ただいま、芳乃」

 

帰宅した息吹は自室を必要最低限だけ片づけた後、芳乃の私室のドアを開けた。

受験勉強に集中している妹の邪魔はしたくなかったが、一応、声だけは掛けようと思ったのだ。学習机に座り、芳乃は息吹に背を向けたまま振り返らないで応える。

 

「おかえり息吹ちゃん。皇京大の合宿どうだった?」

 

「守備練とフィジカルトレばかりで、ホントしごかれたわ。体中が筋肉痛よ」

 

「春季リーグ戦に出るからでしょ?」

 

息吹が目を丸くした。

「よく分かったわね。4月1日に入学して1週間後にスタメン予定だとか、私も白菊も知らされてビックリだったわよ。私は3番セカンド、白菊は5番DH」

 

基本オーダーは1番・小陽、2番・怜、3番・息吹、4番・理沙、5番・白菊。

状況によっては1番・息吹、2番・怜、3番・小陽、4番・白菊、5番・理沙。

この2パターンを使い分ける計画だ。

 

「そうでなければ、この時期から強引な合宿なんてさせないと思っていたから」

 

「こういうのってアリなの?」

 

「インカレ春季リーグは各大学リーグの代表校しか出られないし、そのレベルの強豪校だったら普通そこまで切羽詰まる選手層にはならないからねぇ。進学させる高校側も通常はこんな「特別課外実習」を許可して出席扱いにしないし。それに入学後のレクリエーションなんかも犠牲になるよ。決して褒められた話じゃないかな」

 

「11月の頭から、また1週間ほど行ってくるから。私と白菊の意思を確認しないで決定事項になっていたわ。ウチの学校はどうなっているのかしら」

 

もう軽く身一つで行ける状況で、寮での生活も快適だったので息吹に不満はない。

白菊は喜んでいた。まさか春季リーグから公式戦にレギュラーで出られるなんて予想していなかったと。その反面、入学直後から普通の大学生活とはおさらばで、いきなり野球漬けの日々となってしまう。

 

「可能ならば毎年 皇京大から特待や推薦枠でウチの部員を採って欲しいからね。理事長、校長は打診されたら嫌とは言えないよ。どうせ今年だけの超特例だし」

 

「じゃあ後輩の進路のためにもしごかれに行くわ」

 

「そうだね。もう息吹ちゃんと白菊ちゃんは、これから卒業まで高校にはあまり顔を出さなくなるね」

 

「うん、そうなる。で、希は?」

 

「ラインで連絡取ってないの?」

 

「連絡は取っているけど、希からは簡単な返信だけだった。色々と大忙しだろうから、そりゃ当然だろうけど。明日、学校で会えるなら会いたいな、って」

 

「希ちゃんが学校に来るのは、あとは卒業式だけだよ」

 

「やっぱりそうか」

 

出席日数をクリアしているので、必要な用事がなければ希はもう学校に顔を出さない。

11月には球団側からのメディカルチェック(これに問題があれば契約が白紙になる場合も)が控えているし、プロ入りに備えてのトレーニングと人脈作りに集中する。最優先は年明けの新人選手合同自主トレに向けての調整だ。

光が紹介したトレーナーに師事して、徹底的にフィジカルアップおよび光が4月から取り入れた神経系やビジョン系トレーニングを始めている。

 

息吹は壁に掛かっているカレンダーに目をやり、

 

「ハドバンは日シリに進出だから、シリーズが終わるまで希は光先輩とも会えないか」

 

日本シリーズに進出するセリーグとパリーグの代表チーム以外は、すでに秋季キャンプに入っている。ちなみに2軍や1軍半の選手の一部は、10月からフェニックスリーグに参加していたりもする。

残酷な話であるが、この秋季キャンプ前に戦力外通告が行われるのだ。

 

芳乃が言った。

「12月のファンフェスで一旦福岡に戻るけれど、11月の契約更新が終わったら光先輩すぐにこっちに帰省するって。来年1月の自主トレキャンプに行くまで、1度は学校と野球部にも顔を出すし、日程調整して新越谷の皆と集まろうって連絡を取っているよ」

 

「キャプテンと理沙先輩もそう言っていたわ。結構マメに連絡取り合っていて驚いた」

 

「幹事を頼まれているから楽しみしていてよ。光先輩、費用は全額出してくれるから。金額は2人の秘密だけど、聞けば驚く額が私の通帳に振込済だよ。もちろん領収書は光先輩に提出だけど、余った分は私の進学用の準備金でいいって」

 

医学部志望の芳乃は東大理Ⅲを受験する。

将来はスポーツドクターを目指す。

 

「来年春から東京の独り暮らしだから、正直いってお金は凄く助かる。私は息吹ちゃんと違って大学生活にお金かかるし、医学部に進んだらそんなにバイトできないから。光先輩も家賃高くてもセキュリティがしっかりしたマンションにした方がいいって言ってくれて」

 

「いくら援助してもらったのよ、本当に」

 

「だから内緒だよ。学費も仕送りも親から充分に出して貰えるけど、とにかく医学部はお金がかかる。大学生活は人脈作りや付き合いも必要だから、お金は余裕あった方がありがたいからね。素直に光先輩の厚意に甘える。この恩は将来ちゃんと医者として返すつもりだし。それも約束している」

 

「まあ、年俸あがるもんね、光先輩」

 

厚意が前提はもちろんだが、将来的な人脈のキープというわけだ。

それはおそらくお互いにとって。

 

「平均年俸が低い球団なら1500万円。2割7分に20ホーマー70打点、なによりもOPS.850を超えているから普通2000万円はいくはず。平均年俸トップクラスのハドバンで日シリ勝ったら、2300~2600万円の範囲だと予想かな」

 

「額面だけ聞くと凄いけど、ハドバンのレギュラー3番打者だと思うと低いわね」

 

「なにしろドラ6で年俸400万円がスタート地点だからねぇ。ドラ1だったら3500万円は貰えそうな成績だよね。UZRも悪くないし、WARはチームどころかリーグでも上位の数字だから」

 

「離脱なしで今年と同等の活躍を続ければ、次の次の契約更新で1億円を超えそうね。来シーズンで通算ホームラン50本を達成できればいいけど」

 

光ともたまに連絡は取り合っているが、来シーズンは3割35本90打点OPS.900を目標に設定しているとの事だ。監督、コーチにもそのレベルを課せられているらしい。

 

「松岡さんは来年15勝、防御率2点台前半クリアなら次で1億円ジャストだと思うよ。プロ入り後2年で通算30勝達成は普通に球史に残る記録だし」

 

凛音に関しては、故障なしで順調に成長して成績を積み上げていけば、令和以降のNPB歴代最高レベルの投手になれる――そんな域にきている。彼女レベルだと普通に5~10年に1人、出るか出ないかという投手だ。

 

息吹が言った。

 

「光先輩、去年福岡に行く前に私たちの前で希に約束した「1軍で待っている」っていうのを本当に果たすどころか、まさかレギュラーでクリーンナップ定着なんて、正直いって凄いと尊敬する。芳乃は笑うと思うけれど、実は光先輩なら2年目の1軍は充分にあるって私は思っていたわ。ま、結果論って信じないわよね」

 

「そうだね。今だから言うけれど、光先輩は希ちゃんの前では「希ちゃんが抱く光先輩のイメージ」の為に、そう約束した。それから私にはコッソリと本音を言ってくれたよ。たぶん3~5年で1軍に上がれないまま戦力外通告だろうって。でもプロの世界を見てくるから、ダメだった時には新越谷の皆へのフォローをお願いって」

 

「そっか。そんなに甘くないよわね、プロの世界は」

 

「うん。戦力外通告までの平均在籍期間が5年以下。ドラ1の投手でも通算10勝できれば当たりって世界だよ。今年の園川さんが普通。朝倉さんはかなりの当たり。素材がNPBレベルでも超1級品だったというのもあるけれど、光先輩がギータになれたのは運の要素もきっと大きい。希ちゃんですら、故障やスランプで1軍に上がれないまま戦力外通告だってあり得る世界だから、ね」

 

「でも希に関しては、心配していないでしょ」

 

「この1年間に自信があるからね。ルーキーイヤーか、遅くてもプロ2年目には見られると思うよ、――最強2番・中村 希を。希ちゃんがプロ入りの決意を固めてから、それを目指して二人三脚でプロ仕様の打者へと造り上げてきたから」

 

そこで話題が途切れ、少しの静寂が流れた。

 

「じゃ、私もう行かなきゃ」

 

最低限の着替えすら、もう親に頼んで郵送済みである。

ここには「最後の」挨拶に寄っただけだ。

自宅が実家になる時、想像より呆気ないものである。

 

「やっぱり行くんだ」

 

「白菊というか、白菊の家のお手伝いさんが運転する車が待っているから」

 

待ち合わせの時間になった。

自室に別れを告げる際、窓から玄関前の道路を確認すると既に車は到着していた。

 

「追加で必要な荷物は?」

 

「あったら後で取りに戻るわ」

 

「私がまとめて送ってあげるよ。どうせ息吹ちゃんの荷物なんて高がしれているし」

 

「じゃあ、お願い」

 

「ずっと一緒だったけど、ついに「この日」が来たね」

 

芳乃はまだ机に向かったまま。

 

「思えば生まれて物心ついてから、ずっと芳乃と一緒だったわよね。高校まで」

 

「そうだよねぇ。双子でも早ければ中学、普通は高校で別々だから。田舎で学校が学区内の公立のみ、なんて環境じゃなければ私達みたいなベッタリだった双子は珍しいかも。大学まで一緒の双子なんて聞いたことないし」

 

「そういった意味では、限界まで一緒にいたわよね、私達」

 

「うん、息吹ちゃん――いや、お姉ちゃんは私の自慢のお姉ちゃんだよ」

 

息吹は苦笑した。

 

「今になってお姉ちゃん呼び? 私からすればあんたの方が自慢の妹だわ。まさに天才で、双子で同学年で良かったわ。学年下の妹だったらコンプレックス凄かったかも」

 

「私は秀才ってだけで、天才はお姉ちゃんの方だよ」

 

「いやいや、私が天才って」

 

「プレーの物まね、コピーの枠で収まっていて、まだまだ初心者的に自分のフォームを試行錯誤していた頃は、ここまでの天才だったなんて想像もしていなかった。高校2年の冬からの進化と成長は双子の私でもビックリだったよ」

 

「懐かしいわね、コピー打法とコピー投法」

 

高2の秋からは完全に止めた。

止めたというか、する必要性がなくなった。あれはお遊びの範疇だった。投手陣が充実したので、控え投手の真似事もしなくなり、完全に自分のプレースタイルと選手としての方向性を模索し始めたのだ。

 

模倣から模索へ。

コピーからオリジナルへ。

 

「まだまだフィジカルが弱いのと肩の強さを考えたら、お姉ちゃんの理想はショートよりもセカンドだと思う。新越谷だとレギュラー控えの2名も含めてセカンドが充実していたから、お姉ちゃんに本格的に取り組んではもらわなったけれど、大学では本格的に外野からセカンドへの転向を考えるべきだと思うよ」

 

「そのつもりだし、監督とコーチもその計画。まあレフトも続けるけどね」

 

「お姉ちゃんはどこに行くの?」

 

「いや、だから白菊の家に卒業まで下宿させてもらって、一緒にトレーニングするってば」

 

芳乃はようやく振り向いた。

 

「そうじゃなくて、お姉ちゃんはどこに行くの?」

 

ああ、そういう問いかけ。

 

「とりあえず、大学野球日本一かな」

 

「ヨミちゃん達も目指しているって」

 

「そっか。強敵だ」

 

「その後は?」

 

「やっぱりキャプテンの後を追いかけたいかな」

 

「怜先輩と理沙先輩、このまま活躍していくと間違いなく大卒でプロ入りするよ」

 

「その時は、キャプテンが入ったチームの入団テストに挑戦するわ。生憎と光先輩を追いかけてドラ1になる希とは違うから」

 

「その言葉が聞きたかった」

 

「もしもヨミ達と私たちが戦う時、芳乃はどっちを応援するのよ」

 

「ヨミちゃん達。大学日本一になったらウイニングボールを貰う約束しているから」

 

「おい」

 

「それに、お姉ちゃんを本気で応援するのはプロの日本シリーズかな。きっとその時にならないと本気で応援しないよ。お姉ちゃんにとって大学野球は、まだまだ成長の前段階だって思っているから」

 

「初心者を脱していないって自覚はあるわよ」

 

「うん、行ってらっしゃい、お姉ちゃん」

 

「行ってくるわ」

 

そうして息吹は川口宅を出た。

黒塗りの高級車の後部座席には、白菊が乗っている。駅で別れて息吹は徒歩で自宅に来た。白菊は大村邸で待っているとばかり思っていたのだ。

 

「迎えに来てくれたのね、白菊」

 

「良かったのですか? 卒業まで芳乃さんと一緒に暮らさなくて」

 

「時間が惜しいわ。まだまだ色々と足りていない。白菊の家の方がトレーニング器具が揃っているし、1人と2人じゃ練習効率が違うでしょ。大学は高校野球よりも勝ち続けるわよ、私達2人で」

 

「もちろん私もそのつもりです」

 

「白菊はどこまで行きたい?」

 

「いずれはメジャーリーグです!」

◆EXTRA:柳大川越アフター

プロ野球シーズンオフ某月某日。

時刻は18時30分。

場所は埼玉県某所にあるホテルの大会場。グレードはそこそこだ。貸し切りになっている。

 

大島 留々は「とある人物」の登場を心待ちにしている。

そう、この同窓会の主役を。

 

通常の1クラス単位、1学年単位ではない。年代的には特殊な集まりで、留々の学年だけではなく、その上3学年も含めている。合計で4学年分が集まった。総勢で70名近い。その中心が遅刻中の待ち人なのだ。

 

「こんにちわ」

 

その主役――朝倉 智景が来場した。

皆の視線が智景に集う。

留々は破顔する。彼女が駆け寄る前に――

 

「遅いわよ、朝倉。待たせるんじゃないわよ」

 

歴代で4人揃っている元キャプテンの内の1人、大野 彩優美が苦言を呈した。

「すいません、遅れて」と、智景が謝る。

 

この集まりは「智景が高校1年~留々が高校3年の世代」までによる柳川大附属川越高校公式野球部の同窓会だ。一番若い留々たちの世代は、まだ高校には在籍しているものの部活は引退済みである。

 

「また釣りでもして寄り道か?」

 

捕手で4番だった浅井 花代子が智景をからかう。

この時期は寒いから無理ですよ、と智景は笑った。

 

主役が登場し、最高学年次の元キャプテンが乾杯の音頭を求められたが――

 

「ここはやはり朝倉がやるべきだろう」

 

なにしろ野球部史上で唯一プロ(NPB)に進んだ部員であり、おそらくこの先、この学校からNPBに高卒でドラフト指名されるケースはないと思われる。

しかしリクエストされた智景は音頭を固辞し、隣の彩優美に頼む。

 

「ここは私的には大野さんが最適かと」

 

ニッコリと微笑む智景。

その言葉に、彩優美は1つ咳払いをした後に乾杯の音頭をとった。

 

留々の進路は早大だ。

もちろん大学野球をやる。東京6大学リーグ。早大の先発2番手を担っている彩優美を追いかけた形というか、本当に追いかけての結果だった。他3名も留々に続いた。

当野球部において、もっとも選手層が厚いのが「智景を慕って」名門ガールズから多くの者が集った留々世代である。名門ガールズ出身のベンチ入り組の多くが、大学野球もしくはノンプロ(社会人野球)を選んでいた。中にはプロを志し独立リーグの門戸を叩く者も。

 

そんな彼女達の誇りは朝倉 智景だ。

 

会場内は明るく賑わっている。

話題の中心は智景。色々なグループに引っ張りだこで質問攻めにあっている。

タイミングを見計らい、彩優美も度々 智景に絡む。

 

「ったく、フカトーの松岡に1年でこんなに差を付けられるなんて、情けない。高2の秋頃までは、あんたの方が格上だったでしょうが」

 

「今シーズンのリーグMVPで、今やNPBを代表するエース級と比べないで下さいよ」

 

「泣き言を言ってるんじゃないわよ」

 

留々が智景をフォローした。

 

「いやいや、美学のエースだった園川さんですら高卒プロ1年目は厳しいッス。プロの2軍に通用しませんでしたからね。まあ、来年は盛り返すと思いますが。主に敗戦処理だったとはいえ、1軍中継ぎデビューできた朝倉さんは超凄いッスよ。しかも来シーズンは1軍当確なんですから」

 

「正直、自分でも今シーズンの成績は上出来だったと思っている。ルーキーイヤーから通用する自信なんてなかったから」

 

花代子が訊く。

「先発は目指さないのか?」

 

「いずれは。首脳陣もその方針ですし。でも今の私はとにかく中継ぎで1軍定着。そしてシーズン通して1軍の打者に投げる事が最重要ですね。1軍の打者に慣れないと」

 

「やっぱり1軍と2軍では違うッスかぁ」

 

「高校時代からの悪い癖、治っていないものね。もっとシッカリしなさい」

 

彩優美の様子に留々は苦笑する。

(大野さんは本当に「朝倉さんウォッチャー」ッスね)

 

「そういえば朝倉さん、こんなYouTubeチャンネルあるの知っていたッスか?」

 

会場に用意されていた大型モニターを操作した。

智景の活躍がアップされているYouTube動画を皆で観られる様に、と設定してもらった物である。先程まではドラゴンレイズの球団公式チャンネルによる智景の映像が流されていた。

 

切り替わった画面は『朝倉智景のレイジングヒストリー』なるチャンネルだ。

 

会場内が一気に盛り上がった。

智景が驚く。

「へえ、こんなチャンネル、あったんだ」

 

「今のところ世界で唯一、朝倉さんをフォーカスしているチャンネルッスね」

 

登録者数2300人。

動画の再生回数は1000~3000だ。

彩優美が嘆く。

 

「情けない。もっと有名になりなさい朝倉。あんたじゃ再生数が稼げないから、専門チャンネルがこれ1つしかないのよ」

 

「いえ、でも凄い凝っていませんか、このサムネイルというかチャンネル」

 

「編集も頑張っているッスよ。現地で直撮りした映像だってあるッスから」

 

1番人気の動画『ルーキーイヤー、朝倉1軍での全奪三振』を留々は再生させた。

そのハイクオリティな映像に智景は感動する。

 

「凄いな。ひょっとして、これ留々が?」

 

「いやいやいや、自分には無理ッスよ。こんな凝った編集は世界一レベルの朝倉ファンでないと無理ッスから」

 

「そうか。私にもこんな熱心なファンが」

 

(このチャンネルの運営者、大野さんッスけどね)

 

確かに間違いなく世界一の朝倉智景ファンだ。

自分は2番目以下ッスね、と留々は認める。2番目以下はこの同窓会の中でも激戦だ。だが、世界一だけは彩優美で決まりである。

 

「こういう映像は励みになる。自分で自分のこういうチャンネルは、流石に恥ずかしくて作れないからね」

 

花代子が言った。

「このチャンネルの再生数はショボいけど、この動画は700万再生されているぞ」

 

YouTube検索で[ 朝倉智景 ]と入力すると――

 

【令和の打撃神「村神様」村上宗子202X年 ホームランBEST10】

 撃!超NPB解体新訳ちゃんねる 134万

 

その動画を再生し、概要欄からベスト1のところまでスキップ。

 

『入ったぁぁぁ~~、神宮ライトスタンドの最上段! あわや場外! 今宵も降臨「村神様」! 朝倉はこれがプロ初被弾! 村上宗子、今シーズン第48号ホームランはダメ押しの1発!』

 

智景が恥ずかしそうに苦笑する。

「これ鮮明に覚えてますよ」

 

村上宗子(22)背番号55

東京ワクルトスパローズの4番打者。

史上最年少150号、史上最年少1シーズン50号の記録をもつ「村神様」だ。

令和最初の三冠王にして、日本人最多1シーズン56本塁打を放っている。

 

ここで解説のナレーション。

『中日の高卒ルーキー朝倉智景ですが、素材だけを見れば「若きエース」松岡凛音にだって決して劣ってはいません。特にストレートの球速と威力。けれど修正力に優れて決して大崩れせず、かつ不調でもしっかりと試合を作れる松岡に対し、朝倉はその辺が高卒ルーキーの標準レベルを出ていません』

 

彩優美が言う。

「あんたは突然コントロールを乱して崩れる癖、早く完全に克服しなさい」

 

「プロの打者って甘いコースだと簡単にもっていかれるんで、私の制球力じゃプロ相手だとまだまだ厳しいですよ」

 

「でも制球力に優れた園川さんがコーナービタビタに決めても、2軍でけっこう打たれていましたから、球威だけで押せる朝倉さんはやっぱり凄いッスよ」

 

ナレーションは続く。

『朝倉は長いイニングを任せるのには安定感が足りなく、この村上の打席もボール先行で、スリーボールノーストライク。で、4球目のストレートは逆球でしかもインローへの見逃せばボール球なんですよ。その外れているフォーシームですが、球速はこの試合の全ピッチャー全ボールの中でマックスだったという。それをドンピシャで軽々とライトスタンド最上段ですからね。朝倉、鳩が豆鉄砲を食ったような顔してました』

 

アップでトリムされた智景の顔は、口を半開きにしてポカンとなっていた。

普段は飄々とした美女である彼女らしからぬ、マヌケな表情である。

 

「本当にプロの洗礼でしたね。でも来シーズンは抑えて見せます」

 

「ま、せいぜい頑張りなさい。どうせなら松岡に負けないエースを目指すのよ」

 

「はい」と、智景は笑顔になった。

 

時間は流れ、時刻は20時過ぎ。

 

次の予定があるから、この辺で――と智景は切り上げる事にした。

シーズンオフとはいえ予定ギッシリだ。予定があるという事はそれだけ1軍で活躍した証拠である。多忙ゆえに長居できないし、二次会にも不参加だが仕方がない。

最後の帰りの挨拶に会場が湧いた。

 

アイコンタクトに気が付いた留々が「見送るッス」と後に続く。

留々はこっそりと彩優美にラインした。

2人は会場を後にする。

ホテルのエントランスを出たところで、智景は周囲を見回して人目がないのを確認。

 

「留々。まずはこれを」

 

智景が差し出したのは腕時計であった。

ケースはラッピングされておりブランドは分からない。

だが、高級なのは間違いないだろう。

 

「中身は無難に腕時計。それなりの物かな。これは留々に受け取って欲しい」

 

「あれ、私にもいいんスか?」

 

「うん。もっと年俸が高いんだったら全員にプレゼントしたかったけど、今の年俸じゃ留々と大野さんだけが精一杯かな」

 

「あまり高いと受け取りにくいッス」

 

「20万くらいだよ。50万じゃ今の私だと分不相応だし、10万だと記念のプレゼントとしてはちょっと安いかなって思って」

 

そして智景はもう1つのケースを差し出す。

彩優美への腕時計。

直に渡すと断られる可能性があるから、留々を経由してプレゼントというわけだ。

 

「大野さんに会えるのは、また来年の今頃。来年は今年よりも良い腕時計か、別のプレゼントを用意してくる。もちろん成績と年俸に見合う形で。今から3年以内には先発ローテーションに食い込みたいと思っている」

 

「来年って、ラインで連絡を取り合えばいいじゃないッスか」

 

「大野さんに迷惑かなって。だから留々、大学で大野さんを頼んだよ。少しでも大野さんの力になってあげて。私にとって大野さんは特別なエースだから」

 

留々はやや呆れながら言う。

「素直に大野さんに言えばいいと思うッスよ」

 

智景は寂しそうに苦笑した。

「言ったら大野さん、困るか怒るかのどっちかだと思うから」

 

「ま、大野さんの様子は早大野球部に入ったらラインで小まめに報せるッス。援護とフォローも私にお任せッスよ。自分へのこの腕時計はその報酬って事で」

 

笑顔を残し、智景はタクシーを拾って去った。

 

留々は内ポケットからスマホを取り出す。

通話中になっており、繋がっているのは――

 

「聞いての通り、大野さんへのプレゼントを預かったッスよ。お二人の関係は、こうやって付かず離れずがベストなんスかねぇ。橋渡し役の苦労も分かって下さいッスよ」

 

通話先から聞こえた愚痴の数々は、精一杯の照れ隠しにしか思えなかった。

◆EXTRA:主将・岡田 怜の休日

――12月初旬。

皇京大学硬式野球部専用学生寮。

時刻は21時30分。

 

岡田 怜の明日は完全オフだ。

 

理由は背中の軽い張り。疲労が原因との診断で、休養を摂るための練習オフ日である。

よって厳密には休日ではなく休養日だ。明後日の午前中に医務室で診断を受けて、練習メニューを調整する予定になった。

 

「怜は明日、なにをするの?」

 

理沙がノートPCで講義のレポートを作成しながら、怜に訊いてきた。

怜は今、理沙の部屋でくつろいでいる。

 

「予定外のオフだからなぁ」

 

背中の軽い張り。言い出し難いが、実はすでにほぼ消えていた。だが、休養が決定しているので、今さら「休養は取り消してください」とはいかない。元々からして怜は「オーバーワーク気味」と心配されており、適度に休息を摂れと監督とコーチ陣から注意されている。

 

「明日は日曜だもの。埼玉に帰ったら?」

 

「う~~ん、私1人で帰っても」

 

そこにライン通知。

確認すると息吹からである。年末年始の予定について相談したい、とあった。いいよ、と返信するとノータイムラグで息吹から電話がかかってくる。

 

「どうした? 息吹」

 

『キャプテンと理沙先輩は年末年始、帰省するんですか?』

 

「いや、今年は帰省せずに寮生活だ」

 

『それって普通なんですか?』

 

「強制じゃないぞ。希望者は普通に帰省できる。毎年だいたい10人くらいは帰省するみたいだな。でも、みんなほぼそのまま残って、自主練とかしながら年末年始はチームで過ごすっていうのがウチの伝統だ。大晦日の年越しは食堂に集って鍋を囲むし蕎麦も食べる、初詣も残った部員全員で行くぞ。おせちとか、餅つきとか。まあ、私と理沙は今年が1回目になるが」

 

『それ、いいですね』

 

「大学時代にしか味わえない貴重な年末年始だ。今から私と理沙も楽しみにしている」

 

『じゃあ、今年の年末年始、私と白菊もそっちで過ごして良いですか?』

 

「ああ、来たいのなら歓迎だ」

 

ついでに他愛ない雑談をしてから通話を終えた。

 

「今年の年末年始は楽しみね、怜」

 

「そうだな。なんだかんだで、この寮が今の私たちにとっての家で家族だ」

 

そこでノック。

「洗濯物の回収ですよ」

 

ドアを開けて顔を出したのは、同じ1年で4軍の千恵だ。

割と仲が良い。

 

「なんだ怜もいたのね」

 

洗濯物を入れる籠の中から、衣類とユニフォームを千恵は洗濯袋内に回収した。

そんな千恵に怜は誘いを入れる。

 

「そういえば明日、4軍は練習オフだったよな。気晴らしに遊びに行かないか?」

 

千恵は半白眼になる。

「あのねぇ、新キャプテン殿。あたし達4軍と3軍はオフの日こそ集中して自主練できる貴重な時間なの。1軍2軍とは違って普段の練習日はそこまで追い込めないし」

 

「そうか。自主練ってどこでやっているんだ?」

 

「学生用体育館と体育の授業用ミニグラウンド。他の部活やサークルに抑えられてしまった場合は、市民球場とか公園内グラウンドを有料レンタル」

 

「暇だからサポートしに付き合おうか?」

 

「いいって。1日だけ来られても邪魔。サポートなら1軍のやればいいじゃない。ってか休養なんだからトレーニングから離れなさいよ」

 

理沙が言った。

「完全休養だから練習に顔を出すなって、監督に強く釘を刺されているのよ」

 

「悪いけど、うち等は来年1月頭からの入れ替え選抜期間に向けて必死なの。絶対に2軍に上がってやるんだから。あんた等3人衆くらいなもんよ、選抜期間とか気にしないで呑気にしていられるの。他のレギュラーやベンチ組だって、蹴落とされない為に内心で余裕ない筈よ。1軍から3軍落ちなんてケースだってあるんだから」

 

「無神経だった。すまん」

 

「まぁ、怜と理沙と小陽の3人はチーム内の競争なんてレベルじゃなく、ガッコの看板背負ってリーグ戦で勝つことが仕事だからね。そっちはそっちで大変なのは分かっているよ」

 

他の4軍の学生から千恵に怒声が飛ぶ。

「こら、なに駄弁っているんだよ千恵! 時間ないんだから早く回収して次に行け!」

 

「すいません先輩!」

 

千恵は慌てて去ってしまった。

 

「そうか、そうだよな」と、怜が難しい顔になる。

 

「どうしたのよ、怜?」

 

「いや、私はキャプテンなのに知識としては分かっていても、実際は分かっていなかったんだなぁ、と。このままでは新キャプテンとしてダメな気がしてきた」

 

「怜は余計なことを考え過ぎなのよ」

 

「理沙。明日の過ごし方が決まったぞ」

 

――翌日の朝4時15分。

 

目覚まし時計のアラームに起こされて、怜は起床した。

普段は6時起きなので、1時間半以上も早い。

 

(眠い。まだ寝ていたい)

 

しかし、この時間に起きたのには理由があった。

 

怜は集合時間である4時30分に合わせて、食堂に向かう。

そこには4軍メンバー34名が揃っていた。なお、引退している現4年生(今年度卒業見込み)も退寮するまで、そのままの寮生活(現役の練習には不参加)を送る。退寮時期は早くて年明け、居座る者で2月末くらいまでだ。

 

「おはよう」と、怜が挨拶すると――

 

「げ。マジで来たよ」

「本当に来たのか、キャプテン」

「なんて物好きな」

「今日だけ手伝われてもなぁ」

「岡田って暇なの?」

「休養なんだから休めよ」

「変なヤツ」

 

全く歓迎されていない様子に、怜は渋面になる。

 

「そんな邪険にしなくてもいいだろ。1度もやった事なかったから、みんなの仕事を体験したいと思っただけじゃないか」

 

千恵が名乗り出た。

「みんな、あたしがキャプテンの面倒をみるから。それでいいですよね、先輩達。――というわけで、怜はあたしと一緒に仕事して」

 

「頼む。なんか迷惑かけるな」

「うん、迷惑だから止めて欲しかった」

「そう言うなよ」

 

集合した後、清掃班、食堂班、洗濯班に分かれて動く。

34人なので、清掃14・食堂10・洗濯10だ。

班分けは1週間単位でシャッフルする。

 

千恵は洗濯班だ。

クリーニング室に行く。

 

「洗濯物は昨夜のうちに乾燥まで済ませてあるから、今から仕分けして畳んでいくよ」

 

「どうやって見分けるんだ?」

 

「部屋番の札が付いているでしょ」

 

「なんか凄い量だ」

 

「134人分あるからね」

 

怜が見ている中、他の面子がテキパキと洗濯物を仕分けしていく。

130以上ある洗濯物入れ籠が次々と埋まっていった。

 

「クリーニング屋さんに頼んであった衣類も、この時に籠に入れておく。とはいっても、クリーニング屋さんを使えるのは1軍だけだから、そんなに大変じゃない」

 

「そうだったのか?」

 

「知らなかったの? 2軍以下がクリーニングを頼む場合は自腹で、かつ自分で受付まで受け取りに行かなきゃならないって。ああ、最初から1軍だとこのルール知らないか」

 

怜は洗濯物を丁寧に畳む。

すると注意された。

 

「違う違う。そうじゃない。3軍と4軍の衣類はそんな丁寧じゃなく、スピード重視。とりあえず畳んであればオーケーだから。各自で畳み直せって感じで」

 

「どうしてだ?」

 

「バッカねぇ、あんた。時間には限りがあるんだから、3軍と4軍には時間を掛けてられないの。2軍の衣類は丁寧かつ綺麗に。1軍の衣類はそれに加えて、必要な物にはアイロン掛けをするから」

 

怜は内心で冷や汗をかく。

(知らなかった。全部の衣類にアイロン掛けされていたわけじゃなかったとは)

 

そうして配達の準備が終わる。

次は手分けして衣類を各部屋に届けるのだ。

 

「知っていると思うけど、3軍は同じ時間帯に朝練の準備とか設備や道具のメンテしているから、3軍と4軍の部屋は空っぽ。適当にぶっ込んでおけばいい」

 

「じゃあ、1軍と2軍は?」

 

「起こすな。絶対に物音を立てない。そぉ~~っとドアを開けて、そぉ~~っと籠に衣類を入れる。とにかく気を遣う。いい? 2軍は住民として扱う。1軍はお客様として扱う。レギュラークラスは神として扱う。それが長年受け継がれてきたウチの伝統」

 

「そ、そうか。初めて知った」

 

「そりゃあんた、最初からレギュラーだったからね」

 

「ひょっとして私は苦労知らずだったのか」

 

「だからアンタが背負う苦労は、ガッコの看板背負って試合で活躍する事だって」

 

洗濯班の仕事が終わり、食堂に戻る。

早朝の時間帯は調理師たちが出勤しておらず、自分たちで必要な物を温め直したり、セルフサービスで取れるようにセットしておく必要がある。

 

「よし、終わったな」

 

怜は仕事を終えた充実感と共に、朝食をバイキングしようとした。

しかし、後頭部を引っ叩かれる。

 

「痛いぞ、千恵」

 

「その朝食は1軍と2軍用だってば」

 

「ええ!?」

 

朝練の準備を終えた3軍メンバーが食堂に合流する。

今から3軍と4軍の食事タイムだ。

 

「バナナ、野菜ジュース、プロテイン、おにぎり、そしてハンバーガー。これ等を好きなだけ食べていいから。ただし立ったままで。あ、ゴミは分別してゴミ袋にね。間違ってゴミ箱に入れない様に」

 

怜は見た。

食堂の隅にあるテーブルに山盛りのおにぎりとハンバーガー、バナナ。

その隣の机には、野菜ジュースとプロテインだ。

これ、サイドメニューじゃなかったのか。まさか3軍と4軍の主食だったとは。

 

「6時半には1軍と2軍が食堂に来るから、それまでが食事タイムよ」

 

残り時間、僅かに15分だった。

 

「なあ、ひょっとして私の快適で不自由のない寮生活って、みんなの陰からの努力で支えられていたものだったのか?」

 

「予算に限りがあるからね。調理師を早出で出勤させたら費用が凄い事になるし、清掃にしても毎日専門業者を入れられるわけないでしょ。昼と夜は普通に何軍とか関係なく食べられるから、そんな大袈裟な話でもないわよ。朝の3時半に起床してまで、1軍2軍と同じ朝食を食べたいとも思わないし」

 

6時30分になる。

 

「今から1軍と2軍の朝食が終わる7時15分まで、3軍と4軍の朝練タイムよ。ただし給仕係として10名が食堂に残る。そして今朝の給仕係にはあたしも入っている」

 

「そういえばいつもいるな、そんな感じの」

 

なぜかお冷が空になったら継ぎ足してくれる親切な連中だと思っていたが、仕事として役割分担していたとは。今の今まで、あまり気にした事はなかった。

 

1軍と2軍、総勢55名が食堂に入ってくる。

基本的に時間厳守だ。

全体朝練が始まるのが7時30分なので、その時間までに食事を摂れば問題ない。

 

見慣れている3軍4軍の給仕係に混じって壁際に立っている怜(キャプテン)に気が付き、1軍2軍メンバーは誰もが怪訝な顔になった。平然としているのは事情を知っている理沙くらいだ。

 

小陽が怜に話しかける。

「どうしたの怜? 何かの罰ゲーム?」

 

「違う、気にしないでくれ」

 

千恵が怜に教える。

「食事中はお冷とお茶が空になったら継ぎ足すのよ。それから食事後に、特定の人には新聞とかデザートとかを運ぶわ。2軍以上が定位置の人は必要な一覧表が作ってあるから」

 

スマホの画面を見せてくれた。

 

「私の欄はどうなっているんだ?」

 

レギュラークラス

岡田|お冷のみ

金子|お冷、カスタードプリン(火、木)

藤原|お冷のみ

 

(良かった。あまり手間は掛けさせていない様だ)

 

「これ廃止した方が良くないか?」

 

「冗談でしょ? 給仕して貰う為にもあたしはレギュラーを目指すんだから。どうせ当番制だからそんなに回ってこないし。あんた余計な改革とかしないでよ。大きなお世話だから」

 

――1軍と2軍の朝食タイムが終わった。

 

「さあ、テーブル上のトレイを回収して、簡単に食器を洗っておくわよ」

 

調理師が出勤してくるのが8時30分なので、少しでも負担を軽くしておく。

食べ終わりの片付けまで4軍がやっていたとは、初めて知った。

怜は申し訳なく思う。いたたまれなくなり――

 

「これセルフサービスで片付ける方が良くないか?」

 

「こういった格差も2軍以上を目指すモチベーションになるから、余計な心遣いは逆に迷惑よ。それに慣れれば、この手の共同作業も遣り甲斐あるものだし。そもそも不満に思うなら退寮・退部すればいいだけの話。ってかキャプテンだからって、試合や練習以外で余計な口出ししないでよ。寮生活の規律は4軍の領分よ」

 

それに、と千恵が真顔になる。

「130人以上の集団生活だから、個々人それぞれで自分の事を勝手に全部やる、だと洗濯1つとっても逆に能率悪くなるし、こういった仕組みの方がトータルでは楽なのよ」

 

「なるほど」と、怜は感心した。

 

言われてみれば、確かに不満そうな者は1人もいなかった。

この朝と夜の雑事以外は、1軍から4軍の寮生活にそれ程の差はない。逆に1軍メンバーの方が夜間はミーティングなどで時間が拘束されたりする。

 

朝練が終わり、道具等の片付け、グラウンド整備を3軍が行えば、そこから先は午後の練習が始まるまで普通の学生生活になる。とはいえ、今日は日曜だが。

オフである4軍以外は、休憩を挟んで午前中の練習に入る。

 

午前中、怜は大学図書館で調べものを片づけた。

 

野球部外の友人3名と学内のカフェテラスで、少しだけ豪華な昼食を楽しんだ。

それから普段は足を向けない構内を散策する。

穏やかでのんびりとした時間だが、やはり練習したいなと怜は思う。

 

朝から夕方まで、寮には4軍の学生が2名待機する決まりになっている。

1名が巡回と簡単な清掃(半分は受付での待機)。

もう1名がエントランス脇にある受付室で郵便物を受け取ったり、電話番をするのだ。万が一、火災や事故などが起こった場合、すぐに現場に駆けつけて大学内の防災センターに通報する役目もある。無人には絶対にしない。

講義の出席率にかかわるので、その辺はしっかりと管理されてのローテーションだ。

受付室は快適空間なので、この仕事を嫌がる者は皆無である。むしろ公然と講義をサボれるので、一部には人気であった。

 

午後2時を過ぎ、寮から呼び出しの電話がきた。

来客がいるので急いで戻ってこいとの事だ。来客の名前は教えてくれなかった。会ってからのお楽しみらしい。

友人達と別れて、怜は学生寮に戻る。

 

帰ってから応接室に入ると――

 

「光、久しぶりじゃないか!」

 

新越谷時代のチームメイト、川原 光がいた。

 

「久しぶり、怜ちゃん」

 

「なんだ、来るなら来るで連絡してくれれば良かったのに」

 

「驚かせようと思って。理沙ちゃんには電話で伝えていた。練習中だったから軽く顔見せしたよ。元々パワーあったけど高校時代より飛ばす様になっていたね。最先端のデータ解析装置に、コーチだけじゃなくトレーナーもいて、流石は一流大学だと思った」

 

お土産、とケーキが入った箱が差し出された。

アンリ・シャルパンティエのケーキセットだ。

 

「とにかく座ってくれ」

「うん。じゃ、遠慮なく」

 

2人は応接室のソファーに対面で腰かけた。

 

「いい選手寮だね。立派で綺麗で」

 

「ま、まぁな。光も選手寮だろ」

 

「うん。ウチの選手寮も立派だけど、こんなオシャレな感じじゃないかな」

 

「3年前にフルリフォームしたらしい。各部屋も寮というよりもちょっとしたホテル的な内装になっている。ここに何不自由なく快適にタダで住めて、なんていうか、ありがたさが身に染みているよ、特に今朝」

 

「今朝? なにかあったの?」

 

「なんでもない」

 

「でも親元を離れて生活だと、食事は寮母さんが用意してくれているけれど、洗濯が大変というか面倒だよね。全部をクリーニングは逆に手間がかかるし。遠征先のホテルなんかでも、本当に洗濯が大変」

 

「は、ははは。そうだよな、うん」

 

怜の頬が引きつり、背中に冷や汗が流れた。

 

「背中は大丈夫?」

 

「理沙から聞いたのか。実は、言いにくいが昨日の夜の時点でほぼ治っていた」

 

「それなら良かった」

 

ドアが開いて、お茶菓子が運ばれてきた。

 

「あ、お構いなく」

 

「ありがとう。ついでにこのケーキ、1つずつ今日の当番で食べたら、残りを私の部屋の冷蔵庫に入れておいてくれ」

 

「分かりました、キャプテン」

 

「本当にもうキャプテンなんだ」

 

光は嬉しそうに目を丸くする。

 

「うん。監督の方針だ。実力最優先。今の2年と3年、つまり来年度の3年と4年が谷間の世代になってしまって。その影響で。だから息吹と白菊にも早々にレギュラーとしてスタメンしてもらう。遊びじゃない。大学の看板を背負って野球をしている」

 

「あ、あの~~」と、お茶菓子を運んできた4軍学生は、まだ立っていた。

 

「どうした?」

 

「いえ、キャプテンにじゃなくて、ハドバンのギータ、じゃなかった川原選手ですよね?」

 

「はい」

 

「サイン、していただけませんか!」

 

シャツを2枚、そして油性マジックを差し出して、深々と頭を下げた。

2枚あるのは受付室に待機している相方の分である。

 

客人に失礼だぞ、と怜が注意しようとしたが――

 

「喜んで」と、光はサインと握手に応じた。

 

サインと握手が終わり2人きりになってから、怜は光に言った。

 

「流石に慣れた感じだったな。やっぱりNPBの人気選手になると知名度が違うな」

 

「ファンサービスも仕事のうちだから」

 

人気が出てくれたのはラッキーだったよ、と光は苦笑いだ。

開幕から圧倒的な投球で名前を轟かせた凛音とは違い、ある意味、怪我の功名で得た知名度だ。それが人気に繋がった。

 

「今だから言うけれど、初ヒット初ホームランの次の試合の第一打席で送りバント失敗した時は、もう駄目だ、もうスタメンで使ってもらえないかも、次の日に2軍に落とされるって絶望したよ。レギュラー獲るまでは1つのミスで出番なくなるって、常に崖っぷちの気持ちだった」

 

「ギータ命名の元になった「伝説の犠打失敗」か」

 

イージーな送りバントを失敗した直後、光は絶望的な半泣き顔で慌てて走り出し、しかも滑って派手にズッコケてしまう。当然、アウトというかゲッツーだ。この世の終わりみたいな落ち込み具合で、光は一塁からベンチに戻る。

自由視点再生が可能になった最新の超高画質カメラ(球場内に約300設置)は、そんな光の半泣き顔を無駄にハイクオリティな映像で記録していた。

 

幸い、その後の打席でタイムリー2塁打を放ち、ミスは帳消しにしているが。

 

前日のお立ち台にて言い放った「小技も得意」というフレーズと、この犠打失敗の様子、そして光の半泣きと派手なズッコケ走がループ的に組み合わせられた複数のMAD映像が、合計で3000万再生というバズを果たす。

 

球団公式チャンネルもバズにあやかろうと、犠打失敗MADの終わりに「小技が得意と思っているのは本人だけ」「小技は下手くそ」という監督、コーチ、各選手のコメント(台本)を追加した動画をアップして、公式チャンネルの動画でトップクラスの再生数を誇る。

 

「あのバント失敗以来、一回もバントどころかエンドランのサインすらないけど」

 

「まあ、ニックネームが付かない選手が大半なんだから、割り切るしかないな。球団公認でグッズにも記載され、ウィキペディアにもしっかりと載っているし」

 

「ウィキペディア、そこそこ間違った情報書かれているよね。新越谷野球部に入ってからの初の練習試合で、場外ホームランを打った事になっているし」

 

そこからお互いの生活について話が盛り上がる。

 

「――やっぱりペナントレースを戦い切って、なおかつそのハードスケジュールの合間にトレーニングやデータ分析してレベルアップしていくのは、並大抵の苦労じゃないな」

 

「仕事、だからね。今の私にとっての野球は」

 

「プロ野球、か」

 

「芳乃ちゃんが怜ちゃんと理沙ちゃんの大卒プロ入りに太鼓判を押している。芳乃ちゃんの分析だから間違いないよ。だから4年後に同じ舞台で試合する事を楽しみにしている」

 

「光には悪いけど、今はそんな先の事は考えていない。プロ云々は4年になってから考える。ただ今のチームと仲間で野球がしたいんだ。母校の為にも勝ちたいし。野球だけじゃなく大学生活も充実しているしな」

 

「大学生活かぁ。ちょっと羨ましいかな、青春っぽくて。学生だけの寮生活もいいなぁ。それに怜ちゃん、高校時代よりも楽しそうに見えるし。高卒でプロに進んだのは後悔していないけどね。でも大学リーグにキャンパスライフかぁ」

 

大学進学だった場合、光は特待生で早大へ進む事が内定していた。

強豪大学とノンプロの誘いも多かったが、プロとの二面待ちで特待生枠をギリギリまで確保してくれたのが、早大だったのだ。結局お断りになったが。

 

「高校と大学では違った青春って感じかな。高校時代、最初は10人しかいない中でのキャプテンだった。光が入って11人になって、3年になったら1年が15人も入ってくれて」

 

「一気に賑やかになったよね。その代わりベンチ入りできない子も出ちゃったけど」

 

「そこはな。新越谷の今の1年、20人以上いて咲桜、美学、梁幽館に負けないレベルの連中が揃っている。「埼玉3強」から「埼玉4強」というより「埼玉3強」と「埼玉最強」って評判だ。OGとしては誇らしい」

 

「秋の新チーム、ほとんど1年がレギュラーらしいし、それで関東大会準優勝だから埼玉高校野球界は当分 新越谷時代が続くと思うよ。特に二遊間コンビの子たちは間違いなくプロに来る。正直いって守備だけならすぐにでもプロの1軍で通用しそう」

 

そして話題は詠深に及ぶ。

 

「ヨミちゃんらしい選択をしたと思っているけど、私としてはここで、また高校時代と同じく皆で揃って欲しかった」

 

「ウチに来ていたら珠姫はすぐに1軍で正捕手争いだ。ヨミは間違いなく即エース。菫と稜も最初は2軍だろうが、じきに1軍に定着するだろう。卒業後を考えれば「皇京大野球部の1軍」出身というブランドは強いと思う。でも、あの4人はそういうの興味ないだろ」

 

「だね。進んで弱小校に行って、また11人しかいかなった頃の野球を再現しようだなんて、これは戦ったら強敵だよ、怜ちゃん」

 

「生憎とヨミ達にも、他の大学にも負けるつもりはない。まずは先に、今年の春季リーグとトーナメント制覇で大学野球日本一になる。チャンピオンとしてヨミ達を待つよ」

 

高校時代を思い出し、怜は語る。

 

「新越谷時代、正直いって希とお前は毛色が違っていた。希とお前のバッティングを目にして、ああ、高卒でプロに行くやつはこういうヤツなんだって密かに思っていた。それとは別に、チームの主役はヨミと珠姫、そしてそれをサポートするのが菫と稜だった。私はキャプテンで理沙は4番だったが、チームの主役じゃなかった。あの当時は理沙と一緒に脇役に徹するって思っていたんだ。ヨミは凄い投手でその未来の為にも、って。でも、今は、今の私と理沙は少しだけ違う――」

 

130名以上いる仲間に対して、詠深の為の脇役では、申し訳ない。

新越谷時代の仲間と比べて、今の寝食を共にする家族は決して劣ってはいないのだから。そして詠深だって同じ気持ちの筈だ。

 

「そっか。そういう意味もあったんだ。ちゃんと高校時代よりも成長していたね。今の怜ちゃんは高校時代よりも頼もしく見える」

 

「皇京大は私のチーム、私が主役だ。そして理沙も。元・新越谷の小陽も揃っている。130名以上いる今の仲間たちが「私がチームの顔だ」と言ってくれている。だから高校時代みたく、ヨミと珠姫にチームの主役を譲りたくなかったのかもな」

 

「それでいいと思うよ。芳乃ちゃんから聞いている。今の2年生にとってのキャプテンは今でも怜ちゃんだって」

 

気が付けば時刻は午後4時を過ぎていた。

 

「もう行かなきゃ」

 

「残念だ。予定あるのか?」

 

「凛音と合流してメディア関係の仕事」

 

「忙しそうだな。休みは取れるのか?」

 

「怜ちゃんと理沙ちゃんの都合に合わせて1日、完全オフを作るよ。学校に挨拶をしに行こう。それとは別にみんなで集まる同窓会は芳乃ちゃんが仕切ってくれる」

 

メディア関係の仕事、スポンサー関係の付き合いや挨拶回り、野球関係の付き合い、それ以外は基本的に自主トレキャンプに備えてのトレーニング—―と、光のシーズンオフは休みなしだ。実家に泊まるのも僅かに1日との事。

野球を職業はまだいいかな、と光の多忙・過密なスケジュールを知り、怜は思った。

 

そして時刻は午後22時。

 

怜の部屋に理沙と小陽が揃っていた。

 

「ラインで連絡を取り合っている時の光は高校時代のイメージのままだったけど、実際に久しぶりに会ったら、すっかりプロ野球選手になっていたわね」

 

理沙がしみじみと言った。

怜も同意する。

 

「シーズン100試合以上もNPBトップレベルで戦っていれば、相応にレベルアップしているよな。今シーズン118試合スタメンだっけ? 凄い試合数だ」

 

「私達もコーチやトレーナーのお陰で、高校時代よりも飛躍的に伸びたつもりだったけれど、光は完全に別人への進化って雰囲気だったわ」

 

「夢と目標に向けて、光に負けていられないな」

 

小陽が笑った。

 

「その前向きな姿勢は、今朝の見習い4軍と何か関係しているの?」

 

「そうだな。みんなの協力あっての寮生活だと身に染みて実感した。私も来年度から新キャプテンとして新入生を迎える身だ。今よりもっとキャプテンらしくしないとな」

 

「引退した4年が退寮したら、もっと気楽にキャプテンっぽく振舞えるわよ。怜の新キャプテン、今だから言うけれど怜と理沙以外の全員を集めて、監督が是非を確認した。反対は4年生で5人だけかな。1年はもちろん現2年3年の反対はゼロよ」

 

「そうか。頑張るよ、キャプテンを」

 

「そんな怜の決意を祝して、光からの差し入れを食べましょうか」

 

理沙が紅茶を淹れる。

怜が冷蔵庫からケーキの箱を出した。

それを見て小陽が喜ぶ。

 

「アンリ・シャルパンティエじゃないの!」

 

「へえ、そんなに有名なんだ」

 

「インスタにアップするわ」と、理沙。

 

「こんな時間に油分と糖質の塊を摂るなんて、アスリート失格だな、私達は」

 

「今だけは普通の女子大生よ」

 

箱を開けた瞬間、理沙の手からスマホが落ちた。

3人とも愕然となった顔で箱の中を見つめる。

 

ケーキの代わりに、見慣れている来客用の饅頭が敷き詰められているではないか。

その上にはメモ書きが。

[ 高級ケーキ、ゴチでした、キャプテンwwwwww ]

◆間幕:菫と稜

11月中旬。

藤田 菫は川﨑 稜と共に市立図書館へ向かっていた。

 

そこで武田詠深、山崎珠姫と合流して勉強する。

受験勉強だ。

肌寒くなった道を2人で歩く。

 

「そういえばヨミのヤツ、本気で河川敷での事を思っていたのかな?」

 

稜の問いかけに、菫は肩を竦める。

 

「あの二遊間は私達が良かった、新入部員がいっぱい入ってこなければ、私とあんたがレギュラー落ちしなかったのに――とかいうアレ? 数の問題じゃないと思ったわね、正直」

 

「まさか本音じゃねえよな? 打ち合わせなしであんな事を叫ばれてビックリだった。珠姫をその気にさせる為の演技だよな? 流石にギョッとなったぞ」

 

「さあ? ま、あんたのアイコンタクトは伝わったわ」

 

詠深が叫んだ直後、どうする? と稜が動揺した目で問いかけてきたので、自分に調子を合わせろと菫はアイコンタクトしたのだ。その辺はツーカーで伝わる仲である。

菫としてもかなり引いたのは事実だ。

後輩たちだってレギュラーと試合で勝つことを目標に等しく努力しているのは、先輩として分かっているつもりだから。

 

「ヨミはヨミで中学時代ちょっとあったらしいし、鈍感なあんたと違い多感だし、真っすぐな子だし、ヨミなりに真剣なのよ。それに野球の意味が私達とは違うしね」

 

「なんだかんだで、プロを視野に入れて野球やっている側だしな、ヨミは」

 

菫はこの際だから「ある事」を確認しようと思った。

この流れならば自然に訊けるだろう。

 

「野球といえば、あんたはどうしてR大からの野球推薦の誘い、断ったのよ? せっかく野球部での活動が評価されて、向こうから声をかけてくれたっていうのに」

 

自分と稜のレベルで野球推薦なんて、ものすごく幸運かつ光栄な話だ。

稜は平然と言った。

 

「先生から聞いたのか。菫とセットでなら受けていたぜ。ヨミと珠姫には悪いけどな。推薦を断ったのは、そりゃ大学でも菫と野球を続けたかったからに決まっているだろ。私の野球は趣味だぞ。レギュラーとか控えとか関係なしにお前と一緒じゃなきゃ意味がない。それに菫だってS大の誘いを蹴ったのは、大学でも私と一緒に野球続けたかったからだろ?」

 

「半分は、ね」

 

「なんだよ全部じゃないのかよ」

 

稜が不貞腐れた。

菫は真剣に話す。

 

「本気の野球は大学で終わり。小学から大学で計12年もやれば十分。続けてもヨミと珠姫が作ったチームで草野球よ。ノンプロとか独立リーグなんて考えていないわ。だから野球に依存した道を選ぶつもりは最初からなかったのよ。つまりスポーツ推薦じゃなくて、社会学を専攻する。それから野球を義務にはしたくないわ」

 

「でも大学野球は就職活動で有利にならないか?」

 

「稜は就職活動でのアピールの為に大学野球するわけ?」

 

「んにゃ。充実していて楽しければ、それでいい。だから真剣にやる。ヨミと珠姫にも付き合う。それだけかな。就職かぁ。給料が高くて福利厚生が充実してれば、どこでもいいや」

 

「あんたらしい能天気さね。私はスポーツマネジメントの道に進むつもり。アスリートのスケジュール管理、権利管理、総合的なマネジメントをやりたいのよ」

 

「へえ? 菫に向いているかもな」

 

「せっかく高校野球で全国を経験して、現役のプロ野球選手ともコネがあるのよ。だったらそれを武器にして利用しない進路はもったいないわ。野球に依存はしないけれど、その経験は存分に活かさせてもらうわ」

 

「プロ野球選手――希と光先輩かぁ。すげえよな、大金もらって野球やるとか。私はそんな責任とプレッシャーの中で職業野球やるなんて、絶対にゴメンだぜ。菫が言った通り、確かに野球に責任を背負って義務でやるのは私達には「違う」よな」

 

凡人だという自覚はある。

非凡な存在を知っているからだ。

 

「覚えている? 高校1年の秋大会、フカトーの松岡凛音と対戦した時の事」

 

「一生の自慢だよな、私とお前、あの松岡凛音からヒットを打っているだぜ?」

 

「あんたがカーブを狙い打ちしたのは見事だったわ。でも私のヒットはまぐれ当たり」

 

「見てて分かった。お前、無理に早めに始動した上に、かなり上の軌道めがけて振ってたもんな。なのに当たった。当たってビックリした顔、今でも覚えているぜ」

 

「ボール、あまり見えていなかったわ。とにかく早めに振って当たればラッキーで、ボールの上を空振るつもりだったから。ホップしているんじゃないかと錯覚したわよ。しかも次のキャプテンから更に松岡凛音はギアを上げた。球速と球質が上がった。キャプテンと理沙先輩は修正が追い付かなった。明らかに普段よりも感覚を上方補正して振っていたわ」

 

「しかも球威に押されていたしな。ありゃバケモンだったぜ。たまたま序盤に2点を運よく取れたってだけで、ぶっちゃけ打線としては完敗だったよな。勝ったといえば勝った試合だったけど、私は「光先輩が完封したから結果オーライで、こりゃダメだろ」って内心で思っていた」

 

勝った負けたに関係なく、あの試合以上に内容的に封じ込められた試合はなかった。

それくらい「モノ(素質)が違った」という松岡凛音のピッチングだった。

 

「朝倉とか園川とか黒木なんかも速かったけど、なんつーか、松岡のはボールのポテンシャルが違うって感じのフォーシームだったもんな。スケール感っていうか。そりゃ、プロ1年目で17勝するわけだ」

 

「でも光先輩と希だけは、修正なしの素の感覚で松岡凛音のストレートに対応して、そして捉えていたわ。特に光先輩。大振りだからミスショットでのアウトはそこそこあったけれど、振り遅れ、スイングが球威に負けるシーンがなかった。キャプテンと理沙先輩の2人とはそこが明らかに違っていたわ」

 

「まー、あの試合を思い返すと、やっぱプロ行くヤツは素質が違うんだろうな。ヨミはともかく珠姫は大卒時にそのレベルまで届くんだろうか」

 

菫は首を横に振る。

 

「私達が心配しても仕方がないでしょ。スカウト的な視点で選手を見れるわけでもないし。一つだけ分かっているのは、私とあんたのポテンシャルは大学野球で一杯一杯な事だけよ」

 

「結局、落ち着くところに落ち着くよな。人数ギリギリだったから分不相応に高校の最初からレギュラーだった揺り戻しで、最後の夏は補欠。因果応報だった」

 

「高校野球で終わり、だったらちょっと悔しい因果応報だけど、大学野球まで考えたら私達を抜く後輩が入ってこないで最後までレギュラーよりも、結果としては良かったわよ。やっぱりより上手くなりたいもの、野球」

 

「うん、野球好きとして菫と同じ意見だ。レギュラー落ちしてからの方が明らかに充実していたよな。自分の守備がこんなにクソ雑魚だったなんて、上手くなる為にはマジで実感しておいて良かったよな。それになんだかんだで、大勢の後輩に見送られての部活引退の方がいい。私達が引退して後輩たちがまた人数ギリギリとか、悲しいのにも程があるぜ」

 

そこで会話が途切れる。

いきなり稜がとんでもない事を言い出した。

 

「お前がスポーツ選手のマネジメントだったら、私はスポーツライターにでもなってみるかな。お前からネタを提供してもらって」

 

「あんた教養学部を受験する筈じゃ」

 

「志望学科を変えるぜ。スポーツライターだから、うん、きっと文学部だな!」

 

大丈夫なのだろうか、と菫は軽い頭痛を覚えた。

◆EXTRA:YouTuber中田奈緒 その3

終了画面での視聴者プレゼントの告知を撮り終わり、いよいよ座談会か。

遥菜はそう思ったが――

 

「そうそう。座談会の前にVTuberとしての配信についてのお知らせだ」

 

(VTuberで配信までやルのかヨ)

 

「残念だが、予算の関係で私、陽、松岡、川原の4人分しかアバターを用意できなかった。これも視聴者プレゼントと同じで現時点での知名度を優先した」

 

遥菜は周囲を見回す。

当事者を除くと諸積(と酔いが回っている依子)以外の全員が安堵していた。

 

「ペナントレース中の空き時間に雑談配信やゲーム配信をやるのには、VTuberの方が適しているとサポート会社から提案されてな。動画だけではく生配信にも挑戦するぞ」

 

(いや、空き時間にはトレーニングか休養ダろ)

 

依織が質問する。

「でもVのガワって高いんじゃないですか?」

 

「有名イラストレーターにデザインを起こしてもらい、それを専門業者にLive2Dモデルとやらにしてもらった。4体セットで総額1000万円という安さだ」

 

「え? 1体で250万円? 当然、3Dモデルも付いているんですよね?」

 

「3Dモデルって何だ?」

 

依織は悲し気な顔で視線を落とした。

 

(オイオイ、Live2Dだけデ250万円は高くなイか?)

 

遥菜の記憶が正しければ、安くて総額60万くらい、高くても総額150万くらいでいける筈だ。これが3Dモデルになると、値段がクォリティによって跳ね上がるが。

 

――ボッタくられている。

 

多くの者がそう思ったが、誇らしげな奈緒の前で真実を伝えられなった。

 

奈緒は大型タブレット端末を取り出した。

そしてLive2Dモデルの画像を表示させる。

 

「これが私のアバターだな」

 

奈緒のデフォルメキャラで、よく特徴が捉えられている。

立体的な文字が浮き出てきた。

命名:なおっち

 

「VTuber名は「なおっち」にした」

 

(わざわざパワーポイントで作ったノかヨ。ってか、なにガ「なおっち」ダ。「なおきんぐ」や「なおコング」の方が似合っテいる名前ダろ)

 

続いて奈緒は陽のアバターを披露する。

これも陽そっくりで可愛くデザインされていた。

命名:ようちゃん

 

「そしてこれが松岡のアバターになるが、名前については松岡が決めてくれ」

 

「いいんですか?」

 

「ああ。やはり自分のアバターの名前は自分で付けないと愛着がわかないからな。他人に付けられた名前はイヤだろう?」

 

「それじゃあ「りおりん」でお願いします」

 

「いい名前じゃないか。凛音に「りおりん」――お前の顔にピッタリな凛々しくも可愛らしい名前だ。イメージ通りだな。よく似合っている」

 

そして最後に光のアバターだ。

これも光そっくりにデフォルメされている。

光が勢い込んで言った。

 

「私のアバターは「ひかりん」にします」

 

「いや、名前はもう決めている」

 

命名:ぎー太

 

「え? あれ? え? だって、あれ?」

 

(中田お前、つイ数秒前に「自分で名付けないとアバターへの愛着云々」とカ言っていタじゃないカよ! 川原、ガッカリしていルだロ!)

 

「それにお前の顔は、光とか「ひかりん」とかいうイメージとは違う気がする」

 

「あはははは」

頑張って笑顔をキープする光の目から、光が消えた。

 

(おィィ、いくラなんでも失礼ダろ!!)

遥菜は痛々しくて光を正視できなかった。

 

そして――やっと座談会へ突入だ。

 

開始前、奈緒は皆に注意する。

「不都合な場面は後の編集でカットするが、野球技術や評論、持論については特に気を付けて会話してくれ」

 

萌が言った。

「視聴者にわかりやすく、可能な限りかみ砕いて言うのですね」

 

「いや、野球技術とか評論に関しては引退した大御所たちの領分だから、この場での発言はなるべく避けてくれ。ほら、今って野球系YouTuber多いだろう? そういった大御所に「生意気だ」って目を付けられると色々と面倒だ」

 

(お前、目上には媚び売リまくりダな)

 

「落合の私流チャンネルみたく、新作ガンダムやガンプラについて誰か語ってみてくれ」

 

依織が真顔で言った。

「流石にそろそろ、いきなりの無茶振りは止めて下さい」

 

(だんだんマジで怒ってきたな、コイツ)

 

まずは新人4人から意気込みと目標だ。

遥菜も含めて無難に話す。

 

「じゃあ、次はホークスの3人といこうか」

 

リーグMVPの凛音から抱負を語り始めた。

 

「個人成績はもちろん目標を設定しています。でも、それ以上に日本シリーズ二連覇が一番の目標です。今年はチームの皆さんに勝たせてもらった日本一だと思っています。ですから、来年こそ本当の意味でチームに貢献したいんです」

 

光も同意する。

「私も凛音と同じ気持ちです。首脳陣からは全試合スタメンおよび主軸を打ち続けて30本塁打とOPS.900クリアを期待されています。でも、それ以上にチームの先輩方に貢献したいんです。個人成績よりもチームが勝つのが第一、その先にリーグ制覇と日本一が来年も見えてくれれば、それでいいです」

 

呂律が怪しげな口調で依子が言った。

「私はこの2年、ずっとファームだったから1軍の日本一とか関係ないし」

 

凛音と光の顔が「しまった」という表情で固まった。

というか、全員が気まずくなる。

場の空気が一気に暗くなった。

 

「1年目、ファームで2割6分にホームラン8本を打って今年は1軍デビューできると意気込んでいたら、研究されて2割1分にホームラン2本、二軍ですらスタメン落ちして、年俸は500万円台までダウンだ。サラリーマンの年収500万円台より金なくて辛い。このままの成績であと2~3年ダメだったら、戦力外か育成落ちだよな、マジで」

 

(そんな深刻な話ヲ、こんな場でシないでくレ)

 

「高校時代よりも投手のデータ量が10倍くらいあって、スコアラーが全部覚えろっていうけれど、高校時代はそんな細かいデータ野球なんてやってなかったんだよ。どんぶり勘定で野球やってたんだ。コーチは投手に研究されているから研究し返せ、って言うけどさぁ。なあ、川原。お前はデータとかどうしている?」

 

「それは、その、普通に相手投手とシフトのデータは試合前に全部覚えますし。自身の打撃データも詳細に分析して、フォームとタイミングのマイナーチェンジは常にやってます。苦手なコースと球種は先回りして潰していかないと。高校野球と違って相手にデータとして弱点がバレると、徹底的に狙われますし」

 

「そうか、そうだよな。松岡はデータとかどうしている?」

 

「私は甲斐さんのサイン通りに投げることを心掛けていますが、相手バッターの弱点と最近の傾向くらいは全部覚えています、光と同じで」

 

「やっぱり1軍で活躍するやつは、熊実みたいな野球じゃないんだな。高校野球、楽しかったなぁ。大雑把にプレーできて。あの頃に帰りたい。このまま戦力外だと高卒で世間の荒波か。こんな事なら大学野球を介して大卒になっておくべきだったかもしれん」

 

(この場にいル者、全員が高卒なのに、大卒が良かっタとか言うなヨ!)

 

慌てて奈緒がフォローに回る。

依子に寄り添い、優しく肩を叩く。

 

「細かい事は気にするな。私も高校野球とプロ野球の違いに悩んだが、コーチに「お前は高校時代のままでいい。打率2割5分で良いと割り切り、難しい球は捨てろ」と。「甘い球を確実に打て、コンパクトに振れ、お前なら大振りは要らない」と言われてな。それで1軍に上がれて、気が付けば4番になりファンから「お前が必要、中田奈緒」と言われる様になったんだ。お前もお前のままでいい、かもしれん

 

(ちょッ、最後に小さく「かもしれん」トか、保険をかケやがっタ)

 

「な、中田。ありがとうな、ありが――ウッ!」

 

げろげろげろげろ~~。

まだ二十歳になったばかりで酒を飲み慣れていない上に、飲み過ぎだった依子は盛大に吐しゃ物をぶちまけた。着弾点は奈緒だ。食事の席が阿鼻叫喚になる。

 

惨状に、依織がパニックだ。

「な、奈緒さん、服が服が! ゲロまみれに」

 

そんな依織を奈緒は冷静に諫めた。

 

「みんな落ち着くんだ。私の服なんかよりも、久保田の介抱が優先だ。ほら、久保田、まずは水を飲んでから、ゆっくりと横になるんだ。何も気にするな」

 

「奈緒さん、久保田さんの介抱は私がやりますから、とにかく服を」

 

「服なんてどうでもいい。久保田の体調が最優先だ。それに会話の内容は重過ぎるからカットしなければならないが、このトラブルはYouTube的にはイケていると思う。生配信だと大惨事だったが、吐しゃ物は編集でモザイクをかければ良いからな」

 

しかし依織はダメ出しした。

「いえ、このシーンは視聴者の為にも全カットするべきかと」

 

店舗スタッフと撮影スタッフが協力して、依子のゲロを掃除する。

依子は座敷の隅で横になって休んでいた。

そして奈緒は着替えの為に一時退席だ。

 

店のオーナー板長が言う。

 

「中田さんには大変お世話になっておりまして。去年のオフから個人的な付き合いもあり、贔屓にしてもらっています。今回のYouTube撮影に関しても、事前に来店して他のお客様へ自ら挨拶回りをしておりまして。とても礼儀正しく立派な人です。流石は若くして日ハムの4番打者になるだけの事はあります」

 

「そうですか、事前に奈緒さんが自分自身で挨拶回りを」

 

(小林のヤツ、なンか感動してヤがるが、そレって別に普通の行いダと思うゾ)

 

依織が感極まった声で言う。

 

「私は今の奈緒さんを誤解していたのかもしれない。梁幽館の頃の奈緒さんは、もういなくなってしまったのかもと。気のせいか、今の奈緒さんはお金お金お金お金、と金ばかり。梁幽館時代は真摯に野球のみに打ち込んでいたのに」

 

(そりゃ、高校時代は親が扶養しテくれてるかラ、金の心配なんて要らなイしナ)

 

「でも、私が尊敬する奈緒さんの本質は全く変わっていなかった!」

 

遥菜は周囲の面子を見回す。

全員(陽と依子を除く)が、感動した風の表情をしていた。

 

(こいつ等、将来は詐欺に引っかかりそうダな)

 

オーナー板長が笑顔になる。

 

「本当に中田さんは立派な方なんですよ。当店にも陽さんと共に、サイン色紙とサイン入りユニフォーム、そしてお弁当を含めた数多くの球団グッズを寄贈して頂いております!」

 

「私も高校の先輩後輩という関係だけでなく、人間として奈緒さんを尊敬してます」

 

「はい。当店にも陽さんと共に、サイン色紙とサイン入りユニフォーム、そしてお弁当を含めた数多くの球団グッズを寄贈して頂いております!」

 

「素晴らしいですよね」

 

「当店にも陽さんと共に、サイン色紙とサイン入りユニフォーム、そしてお弁当を含めた数多くの球団グッズを寄贈して頂いております!」

 

「ええ、と」

 

「当店にも陽さんと共に、サイン色紙とサイン入りユニフォーム、そしてお弁当を含めた数多くの球団グッズを寄贈して頂いております!」

 

依織が黙り込む。

額にはびっしりと汗が浮かんでいる。

 

「当店にも陽さんと共に、サイン色紙とサイン入りユニフォーム、そして」

 

「あ、あのぉ!」

 

震えを抑えた声で、凛音が言った。

 

「さ、さ、差し出がましいかもしれませんが、この場の全員のサイン色紙とサイン入りユニフォーム、そして各球団の公式グッズを贈らさせていただければな、と。費用は全額、私が負担しますので。ほら、来年の年俸は私が一番高いし」

 

笑顔のつもりの微妙の表情で、凛音が申し出た。

オーナー板長は笑顔を輝かせる。

 

「ありがとうございます! いやぁ、なんか申し訳ないですね。ちょっとだけ催促したみたいな感じになってしまいまして。流石は中田さんのご友人だけある。催促する気なんて少しもなかったんですけどね」

 

「催促だなんて、そんな。催促されたなんて微塵も感じていませんから」

 

魂が抜けた感じの顔で、皆が首を縦に振った。

オーナー板長はご機嫌で厨房へと戻った。

 

ふぅ、というため息を由比が一つ。

メモ帳のページを破り、なにやら書いてから遥菜に手渡した。

変な文字が書かれている。

 

「田辺先輩、これは?」

 

「私のサインよ。今の件、私の分もアンタがやっておいてね、松井」

 

(こ、こ、こ、コイツ! 私に丸投げしヤがったゾ)

 

そこで遥菜のスマホに着信が入る。

ディスプレイには[ 大友琴羽 ]

反射的に出てしまう遥菜。

 

「琴羽か? どうシた?」

 

『食事会、どうなったのかと思いまして。そろそろ終わりの頃合いでしょうか?』

 

「まだ一次会ダ。琴羽は何してイる?」

 

『亜莉紗との食事が終わったところです』

 

ちなみに琴羽と黒木 亜莉紗は慶應大学に進学する。

 

「亜莉紗もいルのカ」

 

『それはそうと、田辺先輩はどうでしたか? プロでも所属先が同じで先輩になるんです。間違っても失礼な――』

 

「そうだヨ、聞いてくレ、私の眷属! その田辺のヤツが!」

 

「田辺のヤツゥ?」

 

その声で、遥菜は我に返る。

由比が鬼の様な眼光で遥菜を睨んでいた。

 

(し、し、しまっタ!)

 

つい熱くなって状況を失念していた。

 

「ねえ松井。気のせいか先程から所々、この私に対しての不満げな態度と空気が感じ取れるのだけれど、それは気のせいかしら?」

 

『またやったのですね、遥菜。とりあえず後でかけ直します』

 

通話が終わった。

ついでのこのピンチも終わってくれればと、遥菜は心の底から願う。

願いも虚しく、ピンチは継続中だが。

 

「め、め、め、滅相もありまセん先輩。尊敬する田辺先輩に不満なんテ、そんナ、ある筈がないじゃあリませんカ」

 

助けを求めて周囲の者に視線を送る――が、誰も視線を合わせてくれない。

というか、露骨に遥菜から視線を逸らしていた。

 

(くそ。薄情な連中メ!)

 

ようやく奈緒が戻ってきた。

スポーツウェアに着替えている。

 

「どうした田辺。なにを怒っている?」

 

「いえ、松井が少々ね。生意気というか」

 

「何があったのは分からないが、先輩だったら後輩を守らなければダメだ。先輩という立場を利用するのも言語道断。お前は生意気と言ったが、私が知る松井は少しだけ口は悪いけれど決して悪気があるヤツではない。田辺も先輩として歩み寄ってはどうだろうか。他人に厳しくする以上に自分に厳しく、だ」

 

由比は苦笑しつつ、肩を竦めた。

 

「ま、中田がそう言うのならば無礼は不問にするしかないわね。もちろん言い付けは守ってもらうけれど。今後はうっかりと心の声を発音しないようにね、松井」

 

「は、はい!」と、頷く遥菜。

 

(助かったゾ。ひょっとシて中田は良いヤツかモしれないナ)

 

依織が感激の声をもらす。

「やっぱり奈緒さんは奈緒さんだった」

 

「どうした依織。変なヤツだな」

 

「いえ、なんでもありません。それよりも手にしている服、随分と綺麗に洗濯しましたね。まるで新品じゃないですか。高そうな服なので心配しましたよ」

 

「いやゲロまみれのは流石に処分だ。これは新品だ」

 

「え? つまり新品がもう一着?」

 

「最後に私1人で撮影する予定だったが、このハプニングで今から撮影する事にした」

 

奈緒は服のブランドとスポーツウェアのブランドを紹介した後――

 

「当チャンネルに衣装提供して頂いているので、概要欄のリンクから購入できます。特典として「中田奈緒のYouTubeを観た」で全品15%オフになるので、視聴者の皆さまは是非とも購入してくれ」

 

依織の目が、死んだ魚の目になった。

 

――続く。

◆Chapter09:新越谷高校受験勉強部

市立図書館のロビーに、待ち合わせていた菫と稜がやってきた。

珠姫と詠深は10分前に2人で来ている。

 

「じゃあ、勉強しようか」

 

最初の挨拶を軽く交わしたのみで雑談はせず、4人はエントランス先のゲートを通り中に入ると、静かで集中できる2階のテーブルがある一画に行く。

調べものができるから図書館に来ているのではない。PC、テレビといった余計な物がない空間だからこの場を選んだ。なによりも雰囲気が静寂である。

 

黙々と問題集を解いていく。

 

4人だけで期間限定にて結成した「受験勉強部」である。受験難関校ではなく、かつ全員が合格圏内だからこその同好会的な集まりだ。芳乃の様な超高偏差値の難関校に挑戦する受験ガチ組にはそんな余裕はない。

 

ちなみに受験戦争は「地頭に優れている」部活組が部活引退して、受験勉強に本格参戦してきてからが本番になる。残酷な話だが、勉強オンリーだった組が伸び悩む中で、元部活組が勉強オンリー組を秋から冬にかけて成績をごぼう抜き、は珍しいケースではないのだ。要は伸びしろの問題である。

事実、芳乃もガンガン成績を伸ばし、東大理Ⅲと京大医学部の模試でC判定⇒B判定⇒B判定⇒A判定と合格圏内に捉えていた。

 

しばらくして、ふと稜が言った。

 

「そうそう、私、文学部に変更するから」

 

稜の台詞に詠深が驚く。

 

「どうして? 稜ちゃん教養学部だったよね」

 

ちなみに詠深と珠姫は体育学部である。

詠深の希望で、2人一緒に同じ学部同じ学科を選択した。野球以外でもなるべく一緒にいられるように、という意図だ。

 

「ちょっとスポーツライターになろうと思ってな」

 

菫が呆れた声を出す。

「ついさっき思い付いたのよ」

 

珠姫は感心する。

 

「そうやってすぐに決断して行動に移せるところが、稜ちゃんの長所だと思う」

 

「悩みがないだけでしょ」

 

菫の言葉に、稜は反論する。

「失礼な。この私だって悩んだ事くらいあるんだぜ」

 

「うそ。稜ちゃんが?」と、詠深。

 

「お前までもかよ、ヨミ。たとえば、だ。1年の夏大会が終わってから左打ちに転向しただろ? あの時は割と本気で悩んでいた」

 

「確か私と芳乃で「希に訊いてみたら」とアドバイスしたんだっけ」

 

「ああ。出塁率が悪かったからな。打順も最初は5番だったのが、6番に下げられて」

 

「で、1年の秋大会では、6番に留まるどころか9番か8番で上位に繋げる下位打線で固まったってオチだったわね」

 

「うるせー菫。それを言ったら最終的に私とお前はベンチウォーマーだったろ」

 

気を緩めると、つい野球の話題になる。

少し声が大きくなりがちなので、珠姫は釘を刺そうとした。

すると――

 

「司書さんに睨まれているわよ」

 

見知った人物が、珠姫より先に声をかけてきた。

 

菫がとっさに謝る。

「あ、すいませんでした」

 

詠深が目を丸くした。

 

「ええと、貴女は確か」

 

なかなか名前が出てこない様子に、菫と稜が気まずそうな顔になる。

とはいえ、珠姫も思い出せない。

彼女は苦笑しつつ名乗ってくれた。

 

「吉田美月よ。久しぶり」

 

姫宮高校の卒業生。姫宮とは公式戦以外でも練習試合を何度か行っていた。

美月は4番センター。兼任投手でもあった。

 

図書館だと込み入った会話は周囲に迷惑である。

せっかくの再会、という事で詠深たちは場所を近くの喫茶店に移した。

 

美月の紹介である。

1人500円以上の注文で2時間以上勉強しても良い、というルールが設けられている店なので、勉強場所にしている学生も多い店だ。BGMにジャズが流されているので、図書館ほど会話に気を遣う必要がないのが強みである。

 

採算度外視の趣味経営だから可能らしい。

 

稜が感心した。

 

「コーヒーにケーキ1つで2時間も粘ってオーケーとは、いい穴場を見つけたな」

 

他の面々も同意だが、美月は注意する。

 

「ただし昼と夜の食事時は混雑するから居座らないっていうのが暗黙の了解よ」

 

「それはそうですね」と、菫。

 

稜が美月に質問した。

 

「吉田さんって今、どの大学? それとも大学以外?」

 

「美月でいいわよ」

 

「じゃ、美月さん」

 

「浪人生よ。受験、失敗しちゃってね」

 

気まずい雰囲気になったのを悟り、美月は明るい声で経緯を説明した。

昨年――同じ姫宮高校の金子小陽と共に、皇京大野球部のセレクションに挑戦して合格を勝ち取った。しかし面接と小論文だけで入学OKな推薦枠とは違い、受験自体は一般枠で通過する必要がある。その受験当日、美月はインフルエンザにかかりコンディション最悪でテストを受けた結果、やはり不合格に終わってしまう。

 

滑り止めには合格していたが、どうしても小陽と同じ大学に通いたかった。

故に浪人を選んだのだ。

 

「夏の終わりまでは、今年も皇京大を受験するつもりだった」

 

声のトーンが落ち、美月はそこで口を噤む。

珠姫は確認した。

 

「つまり皇京は諦めた、というわけですね」

 

「うん。結果論だけれど皇京に受験失敗して良かったって思っている。卒業後の進路でどうしても皇京じゃなきゃダメってわけでもなかったし」

 

稜が言った。

「なんでだよ。なんか理由あるのかよ、美月さん」

 

詠深が辛そうに稜を遮る。

「稜ちゃん、それは酷だよ、きっと」

 

「武田さんの察しの通り、ううん、藤田さんと山崎さんも分かっているか」

 

美月は自分のスマホに「とある大学野球の記事」を表示させて、皆に見せた。

それは「金子小陽の特集」だ。

 

「――皇京3人衆」

 

稜も色々と察し、苦虫を嚙み潰した様な顔になる。

特待枠で入学した岡田 怜は即レギュラー。他の2名――強打の4番・藤原理沙、センス抜群の司令塔・金子小陽も5月頭には主力としてレギュラーに抜擢されていた。皇京大の育成システムでメキメキと頭角を現した3人はチームで不動の存在としての立場を確固たるものにし、野球部内で3人衆と呼ばれ、それがマスコミにも浸透したのだ。

 

特に、小陽。

新越谷出身でそれなりに有名だった理沙は1軍スタート。早期のレギュラー固定も期待通りで別に意外ではなかったのだ。しかし小陽は違う。全国には縁がない姫宮高校出身で完全に無名の存在。セレクション合格で3軍スタートである。

だが入部してすぐにコーチの目に留まり2軍に昇格。そこから3日の練習で他のコーチとトレーナー、なによりも監督が評価して1軍に昇格。で、理沙と共にレギュラーだ。

 

こんな素材がどうして無名のまま弱小の姫宮高校に埋もれていたのか。

 

理由は、新越谷高校の不祥事だ。

それが原因で姫宮高校に転校し、1年間も公式戦出場機会を奪われた。加えて地区3回戦レベルのチームでは、最後の夏も注目を浴びる事なく終えてしまう。

 

だが、大学野球であっという間に花開く。

 

しかも因縁があった新越谷高校出身の2名と共に。そんなストーリーがマスコミに受けた。大学側も3人組としてマスコミへの広告塔に起用、1年後期からは理沙と小陽に特別奨学金を支給して、トータルで怜と差がない同等の待遇にしている。残り3年以上も在籍するし、宣伝費として考えれば3人の特別待遇は費用対効果抜群だ。

 

順調にいけば大卒プロ入りを目されている怜と理沙とは異なり、小陽は卒業後はノンプロ(社会人野球)に進む予定で、早くも複数の企業が大学側に獲得の意思を非公式に伝えているとの情報だ。社会人野球チームのスカウトの多くは、小陽のプロ入りの意思なしという早期の表明を大歓迎しており、3年後は争奪戦になるだろう。

 

「仮に私が受験に合格していても、4人衆にはならなかった。私だけ2軍昇格が精一杯。大学側も学校の宣伝としての小陽の売り出しを考えれば、私の存在は邪魔だったかも」

 

自虐気味に言う美月。

 

「金子さんとは連絡を取り合っているんですか?」

 

珠姫の質問に、美月は首を横に振った。

 

「皇京を再受験しないってラインして、野球を続けるかどうか決めるまで、連絡を絶ちたいって私から小陽にお願いした。それきり」

 

稜が悲しそうに言う。

「なんでだよ。友達だろ。一緒に姫宮に転校して高校野球を最後までプレーした仲なんだろ。1学年違いでも同じ大学に行けばいいじゃないか」

 

「去年の受験前は小陽と話していた。大学3年の秋までは2人で1軍に上がれればいいねって。それを目標に一緒に頑張ろうって。でも私の目は節穴だった。一緒にプレーしてたのに、小陽の凄さを全く理解できていなかった。つまり、それくらい絶望的な差があった」

 

珠姫にはその言葉の重みが分かる。

同じチームだった中村 希の凄さを本当の意味で理解できていなかった。川口息吹、大村白菊の素質を見抜けていなった。1学年上の川原 光がNPBで主軸打者として通用する未来なんて想像だにしていなかった。それは彼女たちの潜在能力を見出せるだけの素質が、自分には備わっていないという残酷な事実。

 

選ばれし者と、そうでない者の絶対的な差。

 

(希ちゃんは分かっていた。光先輩の凄さを。だからこそあそこまで慕っていた。私は希ちゃん程には光先輩は凄いとは思っていなかった。怜先輩と理沙先輩と同程度の打者だと思っていた。結局、それが私という凡才と希ちゃんという天才の差だ)

 

自分が思う「ヨミちゃんは凄いピッチャー」は、彼女のボールを受けるキャッチャーだからこそ分かる事に過ぎなく、他のツール(野球的ファクター)についての審査眼など全く特別ではなかったという事である。

 

(そういえば、美学戦で諸積さんに3ラン打たれた時も、完全に諸積さんの力量を見誤っていたっけ。節穴だな、私の目)

 

「後輩として入学しても小陽に余計な気を遣わせるし、迷惑をかける。きっと岡田と藤原にも。今や大学野球の注目選手で名門皇京大の広告塔でもある小陽と、無名の浪人生の私。もう、住んでいる世界が違う」

 

菫が言った。

「ちょっと難しく考え過ぎじゃないですか? だってしょせんは学生野球ですよ。1軍とかレギュラーが全てじゃないと思いますけどね。確かに金子さんの1学年後輩は周囲の目を気にする必要があるかもしれないけれど」

 

詠深が菫の言葉に続く。

「私は美月さんの気持ち、わかる。やっぱり友達とはできるだけ対等でいたいって思うし、レギュラーがみんな友達だったら嬉しいなって。タマちゃんには後から叱られましたけれど。それは違うって。でも、気持ちとしては否定できない」

 

大きくため息をつき、美月はコーヒーを飲む。

気持ちを落ち着かせてから、

 

「そっか。私は小陽と対等でいる方法を模索していたのかも」

 

「あー、そういう事か。理解したぜ美月さん」

 

「あんた、言葉遣い、もうちょっとなんとかしなさいって」

 

「気にしないで、川﨑さん」

 

「稜でいいですよ。菫のことも菫でいいです」

 

「確かに菫でいいけれど、なんであんたが勝手に決めているのよ」

 

「うるせーな、細かいことは後回しだ菫」

 

「はいはい。――で?」

 

「美月さんは皇京に入っても、姫宮時代みたいに金子さんと一緒に野球ができないのが不満ってわけだ。別にレギュラー云々じゃなくってさ」

 

「そうね。小陽と一緒なら2人揃ってずっと2軍以下でも別にいいと思っていたのは、本当のところよ。2人一緒にレギュラーなんて高望みはしないけれど、2人揃って1軍だったら最高だなって」

 

「つまり私と菫、それからヨミと珠姫みたいなもんだな」

 

「あ、それで思い出した。えっと、どうして武田さん、珠大を選んだの? というか特待生じゃなくて一般受験するみたいだし。引退後の保険に大卒ってドラフト候補は何名かいたけれど、武田さんなら強豪大学を特待生かスポーツ推薦で選び放題だった筈」

 

去年の埼玉で最も有名なプロ入り見送りは、梁幽館の元4番で主将だった高橋友理だ。ドラフト指名確実視されていたが、プロ入りは大卒後と意思表示してプロ志望届は未提出だった。彼女は立大に進学し、1年生4番として東京6大学リーグの本塁打王に輝いた。

 

「ヨミのことはヨミでいいぜ。それから珠姫のことは、そうだな、タマキンで」

 

「え」と、驚く美月。

 

菫が稜の頭を引っ叩いた。

「面白くないわよ、その冗談。珠姫のことは普通に珠姫でいいと思いますよ」

 

「はい。そう呼んで下さい」と、珠姫。

 

「ヨミは皇京からスカウトの話があったが、珠姫にはなかった。理由はすでに息吹と白菊を予約済みだったから、流石に珠姫までは無理というか、皇京なら珠姫は一般入試しか無理だったんだよ。それは私と菫もだ」

 

むろん珠姫にも複数大学からスカウトはきていた。

実は明大からは最高条件の特待生という話も。

 

「ちなみに菫は「本気の野球は大学で終える」「野球に依存しない」という理由で、スポーツ推薦は考えていなかった。卒業後はスポーツマネジメントの道に進む。それは私も同じで、スポーツライターを目指す為に野球推薦は考えていなかった」

 

「うん?」と、菫が眉をひそめる。

 

「あれ、稜ちゃんって」と、詠深も首を傾げた。

 

珠姫は疑問をぶつける。

「菫ちゃんの将来は初耳だけど、稜ちゃんは昨日まで教養学部志望だった筈じゃ」

 

「細かい事はいいんだよ! つまりだ、ええと、なに言うか忘れちまったよ! とにかくヨミと珠姫、そして菫と私は一緒の大学に進んで一緒のチームで大学野球をやって、そんでもって怜先輩、理沙先輩、息吹、白菊がいる皇京大を倒す! それから大学野球日本一を目指す! NPBいっちまった光先輩と希はもうグラウンドでは会えないけれど、まあ、プロ野球選手になった2人からは色々と奢って貰えるかもしれないし! というか、怜先輩、理沙先輩、息吹、白菊もこのままだと大卒でプロ行きそうだから、最高じゃないかよ」

 

珠姫は混乱する。

結局、稜は何を伝えたいのだろうか?

 

美月も同じ様で、悩みながら、

「つまり、小陽を自慢して誇りに思えってこと?」

 

「違う! そうだけどそうじゃない!」

 

「滅茶苦茶よ、稜。あと静かにしなさい」

 

「ンだよ、菫~~。お前は分かってくれよ」

 

「無茶いわないでよ」

 

詠深が笑顔で美月に手を差し出す。

 

「私は稜ちゃんの気持ち、分かったよ。凄く伝わってきた。だから美月さん、私達と一緒に珠川大で野球をやりませんか?」

 

「貴女たちと一緒に?」

 

「私達4人、怜先輩、理沙先輩、息吹ちゃん、白菊ちゃんと別れたつもりはありませんよ。だって、大学野球で同じグラウンドに立てるんだから。チームメイトでなくなっても、今度はライバルとして一緒に野球、やれますから。野球、続けたいですよね?」

 

――野球、好きですよね?

 

「そっか、大学野球で同じリーグならば、今度は小陽のライバルとして同じグラウンドに立てる、小陽を目標に野球を続けられる、か」

 

美月は憑き物が落ちた様な表情になる。

 

稜が口を開こうとしたので、菫が慌てて止めた。

その様子に、珠姫は苦笑した。

 

「とはいっても、珠川大野球部に入る前に受験を突破する必要がありまして。だから来春解散予定ですが、まずは受験勉強部に入部しませんか?」

 

「うん、喜んで受験勉強部に入らせて貰うわ」

 

美月は笑顔で詠深の手を握った。

◆間幕:母校凱旋

 

◆EXTRA:YouTuber中田奈緒 その4

 

◆Chapter10:同窓会

 

◆Chapter11:クリスマス

 

◆EXTRA:YouTuber中田奈緒 その5

 

◆Chapter12:年末年始

 

◆Chapter13:新居探し

 

◆Chapter14:希の開幕

 

◆間幕:たまよみ(珠✕詠)

 

◆Last-Chapter:卒業式